「R」その存在意義について

今からする話はとっても破廉恥な話なのでね。18歳未満の方の閲覧は自己責任でお願いしますね。

 

子供というものは非常に残酷なまでに無知で純粋なものである。生きてきた年数の短さから知識と経験の蓄積もままならず、その結果思考は軽慮浅謀、無知の知もない行動は向こう見ずな自信に裏付けられている。結論、ま、今はわからないよね。と大人は子供に皆そう思うのである。子供には子供の意見があり、大人には大人の意見がある、とはいえ成長と共に時間と一緒にそんな頃の浅はかな世界は忘れてしまうんだけれど、結局人は今の自分という眼鏡を通してしか世界を見ることができない。

さて、私は小学生の頃担任の男の先生に尋ねたことがある。「先生、男の乳首は一体なんのためについているというのでしょうか。」ははん、何お前はバカなこと言ってるんだ、と今であれ一蹴できるが、かつての私にそこまでの知識と経験はなかった。先生があのときなんと言ったかは既に朧にもない。ただ、どう思っていたかは鮮明にわかる。

「おま、そんなん有事の時に乳首がなかったらどうすんだよ!??ああ!!?肩甲骨でも舐めてもらえってか?!」

そうです。さあ、お待ちかねのセックスの話だよ。修学旅行前に女子だけに話があるから男子は先に教室に帰ってて!と言いたいけどごめん。男子も女子も今日は帰りなさい。お父さんとお母さんに大事な話があるから。

先日、このブログにて2時間だけ公開した、愛撫と寸止めの相関及び消えた年金について、という現代日本には避けて通れないタブーを扱った記事をご覧になった方はいるだろうか。その記事では私、僭越ながら男性という立場を取りつつも、その儚さと愚かさゆえ起こるギャップについて女性側にある定数の理解と男性の落ち度を大幅に認めて筆を取っていた。しかし、あえて私今回は徹底的にジェントルメン側からの立場で物言いさせていただきます。

 

皆さん、時に最近、乳首の方は如何お過ごしか。刺激の方、与えてますかな?

 

私の方はと言いますとここ最近はすっかりご無沙汰しておりますので、あんまりあの子らのこと、構ってやれとらんのですわ。反抗期なのかね。最近は服の下からの主張もだいぶ激しくなりまして、これから夏だっていうのに、子は鎹とはいいますけど…もう少し大人しくなってくれませんかね…。

枕が長くなったが、処憚らずに申し上げると、本日は乳首責めについて討論していきたい。この議題を掲げるに差し当たって、恐らくはまず、関して男女の意識の差を述べておくべきだろう。いつも重ね重ね申し訳ないが、この分野においては完全に私の経験と、外部知識による独断で語らせていただく。

 

まず、男性から女性に対して行う場合だが、これについては我々メンズに生まれながらに備わっている本能、生物科学に基づく遺伝子記憶のレベルで必ず行われる。なんなら個体によっては1日中妄執している奴もいる。女性の乳首を有事の際に触る(味わう)というのは根底の部分で義務の近傍にある。なぜ女性の乳房を求めるのかは、誰一人として説明できないが、求めることだけは確かなのだ。求め方もその方法も人それぞれだが、みな思い思いに目前のふくらみを愛で、慈しみ、或いは感謝する。我々は、ソウルの部分で繋がっているのだ。それに対して女性から男性に行われる場合はどうか。現状、これは、ほとんど任意の行動、女性国民一人一人の判断と思想に委ねられ、方法から時間、強弱まで全てにおいて一任されているといって過言ではないだろう。そんなの、ほとんど施しではないか!我が国における素人男女間に蔓延するその腐った概念、誠に信じがたい。性に対する間違った認識が蔓延って久しいと実しやかに囁かれてから随分経つが、政治家たちは何をしているのかと嘆きが聞こえてきそうである。

ねえ、女子たちはもっと真剣に男子の乳首を責めてくれよ!!!

なんか、ないがしろにしがちじゃないですか?我々だって一人の人間、コンクリートの隙間からタンポポが生えてるように、我々の両胸にも映えてるんですよ、乳首は。なぜ、何の役割も持たないのにそこにあるのか。女子たちは1秒でも真剣に考えたことありますか?!こいつらはねえ、立派なコミュニケーションツールなんですよ。新社会人は飲みにケーションなんかやってる前に乳首ケーションをしなさい。あと、乳首に向かう姿勢にばらつきがあるのもいただけないですね。一番ダメなのはこれ

「あれー?男なのに、乳首でこんなに感じちゃうんだ?」

は?当たり前なんですけど?コナン君が現れると人が死ぬくらいの真理ですが?

この態度は柔らかく言えば万死に値しますね。素直に言えば地獄に行っていただきたい。まず大前提。男で乳首不感な奴は一人としていません!!今日はね、最低、これだけは覚えていってください。よく、男より女のほうが感度がいい、とか言いますけど、乳首に関してだけは違いますから。多分。なんか、そこでマウントは取らなくていいです、もっと真摯に向き合ってください。

あとさらっと流していくやつね。右10秒左10秒、はい、そのあとは棒のほうでしょ。みたいな。もうね。そんなのは車乗ってコンビニ行くのとほとんど変わらないですよ。

右確認、左確認、はい、シフトレバーをDでしょ。

違うでしょうが!!!!!セックスをなんだと思ってるんだ!!コンビニ行くんじゃないぞ!?旅だ旅!!まず旅の始まりと言ったら予定確認からするでしょうが!!!理想はね、服の上からまずは舐っていただきたい。それが予定確認みたいなもんです。あとで、本格的に行くからな!的な。予定確認されると僕らはもうその時を乳首、じゃなかった、首を長くして待つしかない従順な旅行待機者となるわけです。いきなり旅行するのとどこ行くか決めてから行くのじゃ高揚感が違うと思うんですけど如何か?わかる?それから、実際に旅行にいってからも、左右の御乳首への立ち寄り方の差。これね。道の駅じゃないんだよ。ほんとは心の中ではつまらんと思いつつも全員声には出さないで「道の駅ってやつもたまにはいいよね。こう、なんか、風情?禅の氣ってやつ?」みたいな。そういう、形式ばったわびさびみたいなもんじゃないのね。もう具体的に言うわ、メモとって。首都高と東名高速で例えれば、左右の乳首はそれぞれ「海老名サービスエリア」「浜松サービスエリア」に充当しますんで。海老名で中華まん食べて、なんならラーメンも食べて、ゆっくりお土産も買うでしょ?浜松でお茶っ葉とわさび茶漬けの元買って、ウナギのかば焼き食べるでしょ?サービスエリア内のピアノミュージアムもテンション次第ではいくでしょ?その心意気で対峙していただきたいんですね。乳首には。ゆっくり楽しんで(楽しませて)から目的地に向かっていただきたい。決して、トイレ休憩くらいの気持ちじゃあないんですよ。それはだめ。

最後にこれ、人類の持つ最終的な平和交渉に用いられる美技「乳首舐め手コキ」これも全然わかってない人多いですね。この技自体は素晴らしいんです。どれくらいかっていうと、モネの絵画くらいですね。ただ、わかってない人が多すぎる。これ、形だけのレプリカになったとたん何の価値もないんで。なんにせよ、手ばっかりになって乳首がおろそかになる人が多いったらなんの。え??なになに??どっちもやってりゃいいんじゃねぇんですかい?おかみもがみがみちいせぇなあ??江戸っ子魂の淑女諸君はこの名前を100回復唱しなさい。名前なんかどうでもいい?それは違いますよ。7&iホールディングだって三井住友信託銀行だって、合併する前の力関係が合併後に如実に表れているじゃないか。ってーするとどうです?わかります?「手コキ」と「乳首舐め」合併するとどうなってます?「乳首舐め手コキ」でしょうが!!!これ、第三回気候変動枠組条約締約国会議で各国環境省外務大臣が真剣に議論に議論を重ねて決まってる正式な呼称ですから。しっかりと京都議定書にも書いてあります。すなわち力関係は一目瞭然。比重でいうと乳首7、手コキ3くらいの比率でお願いします。その節は、各国皆々様のご強力のもと、大変有意義な議論となりましたことを心より甚謝申し上げ、恐悦至極に存ずるばかりでございます。

これを読んだ皆さんの乳首ライフがより濃密に、またより充実したものとなるよう祈願いたしまして、私からの言葉とかえさせていただきます。

では。

「R」服のそれぞれ

趣味嗜好は人それぞれであって然るべきである。長い年月を経て人類が繁栄たる文化を形成できたのも、各人の価値観を押し付け合うのをやめ個々人の思考思想の自由を互いに尊重し、理解し合おうと努力弛まなかったからに他ならない。その中には相当妙竹林なテイストの趣向を披露する人間がいたとしても、それも立派な個性なのだ、というグローバルな考えのもと受け入れていく、いや最早、そういう考え方もナウくて良いよね、と寵愛すべきであることが昨今に於いても必要不可欠、むしろその命題と世界平和は必要十分な関係を満たすことは自明で、かつ同値であるということは論を俟たない。つまり、私がここで黒タイツのススメについて筆を取ることと、某北の朝鮮国の総書記が労働党の指導者、ないし国防委員会の長として核開発廃止を声高々と明言することをイコールで結ぶことは至極当然で、なんら不可思議はないのである。

健康的な一般男性なら古今東西どこのどいつを無作為に選んだとしても、その下半身に響く女性の服装について一論や二論、一家言持っていることは誰もが知っているところであります。はっきりと、キッパリと言わせていただきますと、女性の言う「可愛い服」と男性の言う「可愛い服」とは、一線を画する似て非なる何かがあるわけですね。男性の発するところの「可愛い服」とはそれ即ち「ぐっと来る服」のことであります。え、これでは伝わらない?「ぐっと来る服」とは、「下半身に響く服」であり、もっと端的に、直接的な表現に身を任せれば「やりてぇ服」と言うところにございます。

 

別にあんたらの性的興奮をどうたらこうたらするためにあーしら服着てるわけじゃないんで。

 

それは、それでいい。一つの主張として受け取っておこう。しかし、一切合切女の言う可愛い、のためだけにその布の集合体があるのだ、とは、言わせん。言わせんぞ。気になる男と出かける時にはそれなりの服装をするだろう。それは、"彼に気に入ってもらうため"である。"可愛い"と思ってもらうためである。ところがそこに男女の可愛いの理解に差異があるため、先ほどのビューは引いては、"彼の性壁に突き刺されっ!⭐️"と全く意味を同じとするところになってしまう。

 

ま、ま、それは確かに拭えないわね。あーしらも勝負下着とか言うしね。しかし、それは彼に対してであって、あんたを対象にしてるわけじゃないのよ。

 

よろしい。そのオピニオンは受け取っておこう。貴方達がそういう考えであり、それを尊重すべきであるように、男共達がその目に映る大半の女性を性的に見ていることも1つの諸概念として受け取っていただきたい。そして、私が黒タイツをこよなく愛している。と言うこともひとつの事象として見守っていて欲しい、と主張したい。これは、議論ではない。そこにある。公理のようなものだ。春が曙る様に、草木が芽吹き、誰も呼びかけもしないのに熊達が長い冬眠から目覚める様に。心理としてこの世界線に確かに、静かに、或いは厳かに、横たわっているものである。気持ち悪い、と今あなたが思ったとすればそれも森羅万象であるが、私もこの論からは一歩も引く気はない。しかも、デニールは80以上。これに尽きる。え、薄ければ薄い方がいい?ま、ま、これはディベートではないためあまりとやかく言わないが、それは、私から言わせれば「分かっていない」と一蹴せざるを得ない。私からすれば、薄いタイツは「男って、こう言うのが好きなんでしょ」という一面が目に余る。もちろんそのおみ足は素晴らしく、生足にホットパンツなんか最高の相棒であることは数多の論文からも一目瞭然だし、ミニスカートからニーハイまでの国土が聖域に指定されていることは日本の憲法にも定められているところである。

しかし、タイツに限っては80デニール以上の物が良い。なぜかは自分でも説明つかないが、濃い目のタイツが素晴らしく似合う女性が目の前で脚を組んで座っていたとすれば、それを肴にそのままホッピーセット(白)を頼んで中外を1:2の割合で飲み続けたいところである。英語で、Rのつく月は牡蠣が旨い。と、聞いたことがあるが、ならば私はこの声を大にして届く範囲に轟かせたい。女性諸君はRのつく月は積極的に80デニール以上のタイツを履いてください。お願いします。

兼平を偲んで

その蕎麦屋は新宿歌舞伎町の端っこ、最早JRの駅は新宿より大久保や新大久保の方が近い、というところにあった。職安通に面していて、通りを挟めば近くには韓流アイドルのライブハウスや韓国料理の屋台などがあり、やたら目の下の赤いメイクの女子高生が目につく場所であった。今から7年ほど前だろうか、その付近でアルバイトをしていた私は蕎麦が好きなのでその店で週のうち半分は食事をしていた。

 

その店は、昭和を感じる看板に、古臭いショーケースに食品サンプルが置いてあった。内装も、オレンジがかった赤に黒い斑点模様の付いた柄のいかにもな机や椅子、壁に貼ってある相撲の番付表や、知り合いにもらったであろう小さな舞台のポスターなど、雰囲気がまず私好みである。メニュー表は、何度か値上げしただろうか、値段が上から書き直してある。しかし、古くからやってるだけあって値段は庶民的で、なにより、おそらく昭和の時代から店を構え、激動の平成をも生き抜いてきた面構えは、どことなく古代樹のような風格があった。私は蕎麦が好物であるが、もっぱら食べる方専門で種類や調理には明るくない。従ってその蕎麦が何割だったのか、どんな蕎麦粉を使っていたのか、そんなことはわかりっこなかったが、どの品も幾多の蕎麦屋の暖簾をくぐった私の舌を唸らせる一品だった。よく頼んだのは丼ものやカレーライスと蕎麦のセット、かき揚げ丼、山かけ丼、天丼、小海老天丼、カツ丼、親子丼、生姜焼き丼や牛丼など、他にも様々などんものがあり、そのどれもが美味しく、それがさらに美味しい蕎麦とセットになるというのなら、これ以上嬉しいことはない。私の一押しは小海老天丼とかき揚げ丼である。他にも鴨せいろや天ざる、つけとろろやおろし、力になめこ、カレー南蛮、何をとっても美味しく、この店があれば私のそばライフは一生満ち足りることだろうと思っていた。

その店は綺麗な白髪がトレードマークの店主と、いつでも明るく、ポジティブな奥さんの70代夫婦が2人で営んでいた、通っていくうちに、私のことを覚えてくれて、スマホの設定を頼まれたり、エアコンのフィルターや電球の交換をしてあげたり、そんな、距離になっていった。社会人になって、新宿でアルバイトをしなくなってからも、私はその店に足繁く通い続けた。あの2人は私を子供のように思っていてくれていただろうか。週末に行けば、一人暮らしの私の食事を心配してか、よく余り物をくれた。その店は飲むのも最高だ。まず、瓶ビールがクラシックラガーである点が見逃せない。つまみも、マグロの山掛、サバの味噌煮、天ぷら盛り合わせ、おしんこ、湯豆腐、もつ煮、なんでも美味しかった。一押しは湯豆腐で、昆布だしの効いた豆腐や榎を食べると、普段の地獄のような食生活がなんだか浄化されたような気分になった。また、蕎麦屋といえば外せないのが蕎麦湯。ここは、蕎麦湯がうまかった。そのまま飲んでもいいし、店の名前が冠してある麦焼酎で割って飲むのも旨い。ボトルも安かったため、私のボトルは常に2本ほど入っていた。私が飲み始めると、必ず店主は野菜を勝手に出してきた。体に気を付けろよ、といって。

一生、その店があればいいと思っていたが、同時に、そんなことはあり得ないとも分かっていた。彼らは私より随分と歳をとっていたし、子供も孫もいたが、跡取りはいなさそうであった。しかし、これが、なんの予兆もなく店を畳むとは、思ってもいなかった。

 

コロナもあるし、家族もいる。ここは歌舞伎町だし、店を開ければ人は来る。俺はかかったら死ぬだろうし、そうなったら家族に迷惑かかる。目も当てられない。そろそろ、潮時かなって。

 

普通の平日に普通に仕事してたら、突然電話が来て店主がそういった。新型ウィルスの影響で、生活に支障が出ることがあるのは知っていたが、身近には起こらなかった。知人も罹ることはなかったし、自分も心の中ではかからないと思っているし、今まではなんだか自分の周りで起こっていることを眺めているだけのような感覚であったが、その時は憤りを感じたのを覚えている。

その週末、片付けをしているところ、店を訪ねた。くしゃっとした笑顔で店主は、何にもあげられるものはないや、ごめんな。という。いえ、今までお世話になりました。と僕は言った。それでも、店主は何か思い出したように奥からゴソゴソと何かを取り出して、蕎麦つゆのもとになる、秘伝のかえしを6リットル僕にくれた。適切に扱えば、腐ることはなく、年数を重ねれば重ねるほどいい味になるそうだ。僕と、この店の味を繋ぐ最後の6リットルとなった。

 

君は、パソコン類に詳しいから困ったら今度連絡するよ。と言う。

 

今度、とは?そんな日が訪れるかどうか知らないし、わからない。そんなことは店主も一緒だろう。

 

はい、これっきりというのは寂しいので、きっと連絡ください。と返す。

 

その言葉は本当であり、嘘も孕んでいる。不誠実だろうか。失礼だろうか。二人の言葉に嘘はない。大切なのは、気持ちと、今会えた、という事実である。来年は一緒にお花見に行くかもしれない。もう一生会わないかもしれない。ひょっとしたら、体を思って店を辞めたけど運悪く病気になってしまうかもしれない。先のことは誰にもわからないのだ。一時の別れか、一生の別れか。それは、神様にもわからないだろう。一期一会とはよく言うものだ。どんな人間との間にも、出会いがあれば必ず別れもある。スマートフォンが発達してその境目は日々曖昧になっているけれど、確かにそこに境界線はある。今あるつながりは、大切にするべきだ。

私は店を後にした。会えてよかった、と、また会いたい。という気持ちを胸にしまって。

 

店の名は「兼平」。

 

兼平を偲んで。

3月10日の駄文

今日は卒業式だった。私は3年生の担任なので教員の中では主役だし、3年生は1クラスしかないので、ますますちゃんとやらなければいけない。私は普段本音を言うことはあまりなく、戯けたり、からかったり、自虐したりして気持ちを隠して相手に伝えることはない。それは、自分の幼さが故だと自覚しているが、改善するつもりも毛頭ない。なので、彼ら、彼女らへの思いはここに認めておくだけとする。しかし、ここへ書くと言うことは少しは知ってもらいたいと言う気持ちも少しばかりあるのではないか、と指摘されてしまいそうだが、それについて追求することは目下の議題ではないため別の機会に譲る。

 

近頃の社会情勢のせいで、卒業式は残念ながら縮小で開催する運びとなった。卒業生とその保護者、また学校関係者のみの出席である。私の学校は学年間の繋がりが強く、在校生の中には卒業式に参加できないとこに不満を示す者も多数いたし、在校生がいた方が臨場感も増すので残念なところではあるが、致し方ない。もともと2月は休みだった上、3月も全国休校要請が発表されたおかげで、私は卒業式前の僅かな日数を生徒と過ごす時間を奪われた。そして代わりに、彼らと過ごした月日をじっくりと振り返る、砂時計の砂がゆっくりと落ちるのをじっと見つめる様な時間を得た。

自分の生徒を考える。私の勤める高校は不登校支援をしていて、入学者の殆どが不登校経験者、そしてその中の半分くらいは長期で学校に行っていない。それは、私のクラスの生徒も例外でない。一方で、私の学生時代を思い出してどうだろうか。学校はサボりまくってはいたが、不登校ではなかった。なんとなく高校に行き、大学もなんとなく受かり、それとなく学生時代を終えた。つまり、私には彼らの気持ちがわからない。いじめ等は別として、彼らに学校に行かなくなった経緯を聞いてもなんともいまいちピンとこないし、なんなら、いじめられたこともないのでいじめられた子の気持ちも厳密にはわかっていないだろう。ゆえに、よく聞く学校に行きたくてもいけなかったと言う気持ちは根本は理解してあげられない。可哀想だったね、と嘘偽りなく心底共感したとして、それはアフリカの学校にいけずカカオ農場で働いている子供の話を聞いて可哀想だね、と言うことと同じであるし、極論水槽の中で泳いでいる魚をぼうっと眺めることと差異ない。

そのため私は学校に来られる様になった生徒や、楽しく学校生活を送ることができるようになった生徒を見ると「自分は何もしていない。環境を整えただけだ。成長したのも、一歩勇気を出して踏み出したのも彼らが勝手にやったことだ。子供の成長はすごい」と思っていた。彼らは私と過ごした時間の中で驚くほど成長した。学校にしっかりと登校するようになった子ももちろん、私のクラスの中には卒業するまで安定して登校することが結局出来なかった子もいたが、そんな生徒も、皆一様に自分なりに努力し、人それぞれに成長した。誠に喜ばしいことである。

生徒について考えることは時として自分を振り返り考えることと同義である。彼らは私が専任で教員をし始めた年の最初の新入生だ。従って、自動的に始めて3年間共に過ごした生徒となり、また、今勤める学校は3年前に開校したということも相まって非常に思い出に深い学年となった。3年前の私は非常に頼りなかったと思う。人に使われることが嫌いな私は上司や先輩しかいない職場はきつかったし、右も左もわからず、昭和な空気の残る教育業界は肌に合っていないとさえ感じた。しかしそれも今や3年前の話。私も今や教務の責任者となり職員室では踏ん反り返っている。考えれば、地位の向上はもとより、恐縮ではあるが人としても大きく成長できたのではないかと自負させていただきたい。では、何故肌に合わない教育業界で3年も仕事が続けられたか。考えれば、それは生徒が可愛かったからである。憎まれ口を叩く生徒も、慕ってくれてやまない生徒も、私とは馬が合わなかった生徒も、全く学校に姿を見せない生徒も、中には私のことを男性として好きだと言ってくれた生徒もいたが、その全員が可愛かった。互いの経験を根本から理解し合う必要はなく、肝要なことは、互いを認め同じ目線で話すことである。高校生の見せる素直な表情と成長は、捻くれた性格の私には新鮮で、心地の良いものだった。特に、不登校を経験した生徒は感受性が強い人が多く、こちらの仕草を見て心を感じとる彼らと接していると、自分がいかに無頓着で無神経かを思い知らされ、繊細な彼らと関わったことが私の成長の一因であることは間違いない。

そして、そうであるとしたら、彼らの成長の一因も私なのである。彼らは勝手に成長していない。私の人間性と経験を吸収し、昇華したはずで、互いに成長させあったと言うのが正解であろう。私は確実に彼らの人生に触れ、影響し、跡を残した。私は自分にないものを彼らからもらい、彼らもまた同じように私の一部分を学んだ。いつの日か私のことを忘れたとして、その事実は変わらない。ほぼクラス全員が慕ってくれた学年である。いつの日か一緒に飲みに行きたいものである。彼らと笑い、共に成長した日々はかけがえのない月日となった。今、卒業式を迎えた彼らが同じ気持ちで学校生活を振り返るのであれば、それに勝る喜びはない。

彼らのいない学校生活は実に想像に難しく、正直に言えば門出を祝う気持ちは2割くらいで、残りは、ただただ寂しいと言うのが本当のところである。しかし、私はその性格から、挙式後の最後のHRでは1度も寂しいと口に出して言わなかった。

それは、彼らの感受性に任せて。

レオニダス

世間にはバレンタインデーという日がある。私はチョコが好きでないので特別楽しみな日ではないが、カップルや、意識している異性がいる人にとっては一大イベントであったりするだろう。有名な話だが、日本のバレンタインデーは世界的に見ると異例で、チョコを渡すのは日本くらいだし、女性から男性に渡すのも日本くらいである。バレンタインデーの起源は諸説あるが、バレンタインというのは西暦260年くらいの時にいた実在する人物名で、当時訳あって結婚が許されていなかった若者の為にこっそり結婚式を開いてやったらローマ帝王に見つかって処刑されてしまい、その日が2/14だったのでカップルの聖典にしよう!みたいなのが一般的な説である(しかし歴史的観点で見ると矛盾点も多く100%正しいとは言い難い)。

 

話は変わるが私は最近ベッドを買った。眠り姫という格安ベッド通販サイトで購入した。私はこれまで生まれてこのかたベッドのある生活をしたことがない。実家が狭いこともあり常に布団を敷いて生活してきた。したがって、ベッドと言うものは如何わしいホテルか、もしくは如何わしくないホテルでしか見たことがないし、使ったこともない。初めてだからと私は少し興奮気味に、見た目重視でベッドを選んだ。セミダブル宮付き、コンセントありの収納付きベッドだ。マットレスも布団セットもセミダブル用の、しかもちょっこかっこつけてモノクロのものをわざわざ購入した。お洒落な照明も買ったし、文字盤がなくて正確な時間がいまいちわからないそれっぽい置き時計も買った。これで準備は万端である。格安ベッドは往々にして組み立ては自分で行う。私は夜中までかかってベッドを組み立てながらその構造に一石を投じたくなった。なんだか、自分が思っていたベッドよりも、耐久力がなさそうなのだ。如何わしいホテルも、如何わしくないホテルもベッドは頑丈で、飛び跳ねたりジャンプしたり、男女の営みを行なったとして壊れることは絶対にないしそんなそぶりも見せない。ここでようやく私は、市販の安いベッドは耐荷重が低いのでは?と気付いてしまった。そして、眠り姫のサイトに戻って詳細を念入りに調べた。そこには耐荷重120Kgと書かれていた。私と、マットレスと布団を足せば100キロ弱である。これは、大変なことだ。私だって男。いつ、このベッドでその時が訪れるかわからない。

 

 

「お邪魔します。へえ、結構片付いてるんですね。意外。」

物の少ない閑散とした僕の家を眺めて彼女は呟いた。

「まあ、ね。仕事忙しくて家にいる時間も少ないし。」

心臓の音が彼女に聞こえてしまうのではないかと緊張していたが、平静を装う。

「お茶を煎れるよ。ソファに座ってて」

そう言って振り返ると、既に彼女はソファに座って足を崩していて、悪戯っぽく笑ってこう言った。

「えー。お酒がいいなぁ」

目のやり場に困るからちゃんと座って欲しい。

「さっき散々飲んだじゃないか」

声は震えていなかっただろうか。僕はロックグラスに氷を入れながら思う。

 

彼女と飲み直した時のことは正直あまり覚えていない。幸せな空気に包まれて、終始ぼうっとしていたことは覚えている。

途中、少し頭を冷やして酔いを覚まそうと思ってトイレの帰りに寝室に行きベッドに腰かけた。彼女は、やっぱり僕に気があるだろうか。頭の中を彼女が爆発的に侵食していき、ぐるぐると渦巻いて僕に絡みつく。酒だ。そうだ、これはきっと酒のせいもある。少し落ち着こう。

「あれー、こんなとこにいたんですか?」

不意に彼女の声で僕は現実に戻る。

「あー、うん。ちょっと酔っちゃったなって」

彼女は微笑みながら僕の隣に座った。何も言わずに僕を見つめるその表情からは何を思っているのかわからない。僕の方が年上のはずなのに、彼女の方がずっと落ち着いて見えた。世の中には、いい沈黙と悪い沈黙があるが、これは前者だ。僕らはその沈黙を充分味わってから顔を近づける。自分が思っていたよりも随分極あっさりと唇が触れる。驚くほど柔らかい感触を楽しむまもなく男女はベッドに倒れ込んで絡み合った。ベッドは少し苦しそうにギシギシと音を立てていた。本当に、ギシギシという表現は合っているんだな。と思ったのも束の間、その音はどんどん大きくなり、僕が彼女のブラウスの第三ボタンに手をかけたところでベッドの底が抜けてしまった。僕のベッドの耐荷重は120Kgだったのだ。

 

 

ほら、ね。これはまずいでしょ?こうなったらきっと彼女帰りますよ。怒って。ということで私はいつ訪れるかもわからないその時に備えて耐荷重の勉強をバレンタインデーにすることとなった。久々に物理学を勉強したが、どうやら僕のベッドはしっかりした足を8本ほど付け足せば200Kgちょっと耐えられる様になるらしい。2×4の長い木材を買ってきて、210㎜間隔に切って、インパクトドライバーでくっつけて支えにしよう。耐荷重の計算なんて、今後の人生に役立つかは分からないが、勉強してしまったものは仕方がない。

ということで私はカップルの聖典の日に、いつ来るかも分からない日に備えてホームセンターへと赴くのであった。

 

時蕎麦

大人にならないと分からないものというものがある。それは酒の味だったり、タバコを吸うとどうなるのかなどの子供には許されていないものから、大人も子供も平等にできることだけれど、大人にしか価値のわからないものまで様々である。

子供の頃、家族で食事に出かけたりした際、父親がおしぼりで顔を拭くのがとても嫌いだった。オヤジくさいし、顔を拭いた後のお絞りはなんか汚く感じるし、「アアァ…。オオゥ…。」みたいな変な声を出しててキモかった。父親に、「それやめてよ!」と何度言っても、お前もそのうちやるんだ、俺と同じ歳になっても嫌だったら言ってくれ。と相手にしてくれなかったことを覚えている。さて、お父さん。あの頃お父さんは50歳とちょっとくらいだったと思います。僕は今27歳、今年28になります。お父さんの様に立派じゃないかもしれないけれど、なんとか1人でやっています。何をやってもなんとなくダサくて、18も年下の母の尻に完全に敷かれ、よく襖越しに小休止の体制で中にいる母に「今、話しかけてもいいかな?」とおっかなびっくり話しかけてた父(子供たちは謁見と呼んでいました)。電化製品を触っては壊し、何度も買い替え、最終的に掃除機すら触ることを禁止された父。昔はちょっとバカにしてたけど今になってその偉大さが分かります。僕より10センチ以上も背丈が低く、いつも家族で1人だけ理系だった僕を見て本当に自分の子供が疑っていたその小さな背中は、今とても大きく感じます。僕も、お父さんの様になれるかなあ。

そんな父に今言います。大切なことだけど1回しか言いません。

 

 

おしぼりで顔拭くの、超気持ちいい。

 

疑ってごめん。超気持ちいい。いつからだろうか、こんなに全力でおしぼりで顔を拭く様になったのは。もうね、めっちゃ拭く、即拭く。なんならおしぼり来る前からどんなおしぼりが来るか考えてる。あったかいのか、冷たいのか、袋に入っているのか、いい匂いがするタイプなのか。もう、おしぼりで顔を拭くことを動詞化したほうがいいと思う。

 

「おしぼる」動詞

意味 おしぼりで顔を拭くこと。また、それと同じ類の快楽を得ること。

しかし調べたことろ、出先の店で顔を拭くのはマナー違反であると感じる人が多いそうだ。私も少し控えなければいけないだろうか。

大学生の頃の話

その日私は大学に向かうため電車に乗っていた。自宅の最寄駅から大学の最寄り駅までは大体50分ほどである。埼玉に住んでいた私は乗り換え駅の新宿に出るため埼京線に乗っていた。埼京線は大抵の場合、物凄く車内が混み合う。あ、今あなたが想像した埼京線の車内風景の5倍は混んでます。そうです。そのくらいです。私はその日のことを鮮明に覚えている。いつものようにぼーっと、(湘南新宿ラインはなんで湘南新宿線じゃないんだろう…。)とか、(東横線の読み方はなぜとうおうせんじゃないんだろう)とか考えていたかもしれない。しかしその日を今でも鮮明に思い描くことができるのはそんなことが理由ではない。隣に、とんでもない美人が立っていたからである。美人というのは役得である。美人であるというだけで周りからちやほやされるし、面接の第一印象は最高だし、美しいというだけで良い匂いがしそうだし、なんだか性格まで良い人が多い気がする(偏見である)。おそらく出勤途中のOLなのであろう。体のラインがやや強調されるようなスーツ姿に絶妙に胸元が空いているブラウスを着ていた。仕事がバリバリできるタイプじゃないけど、持ち前の愛嬌と性格の良さと気配りで職場で立ち回り、男性陣から絶大な信頼を置かれているものの一部の女性社員からは嫌われていて、でもそんなことはあまり気にしなさそうなタイプの女性であった(偏見である)。多分、大学は明治かお茶の水か法政で、学部は文学部か政経で間違いないであろう女性だ(偏見である)。そんな女性が隣にいるため、私もちょっと格好つけて、これみよがしにロンドンの天気でも調べてはキメ顔を作っていた。そんなときである。体に、違和感があるのだ。いや、それでは伝わらないだろう。正確には、体の、主に臀部に、違和感を覚えた。その違和感は時に優しく、時に激しく、蛇のように絡みつき、孔雀のように情熱的に私に襲い掛かった。

そう、つまるところ、端的に、簡潔に、率直に、ところはばからず言えば、

 

 

 

私は、痴漢されていた。

 

私も今でさえぶくぶくと止まるところを知らない肥満期を迎え、そのうち出荷されてしまうのではないか?と本気で勘ぐるほどの体型になったが、当時は178cmで体重48kg。ばりばりのモデル体系であった。道を歩けば雑誌のモデルにスカウトされる……ということはなかったので顔はイマイチなのだろうが、まあ、後ろ姿だけ見ればそれなりであったはずだ。

因みに、理性が欲望に支配されて心の中の悪魔が

 

「いいぞ、こいつ全然反応しない、もっと触っちまおうぜ!!!」

 

といい、それに対して僅かに残った心の中の天使が対抗して

 

「ああ、もっといけるぜこれは!!久々のご馳走だ!!」

 

と、もう天使までもが猪突猛進な勢いで私の臀部を弄っていたのは、いかにも中間管理職でもやっていそうな中年男性であった。私は、しばらく臀部を鷲掴みにされながら考えた。そしてある結論を導く。

この人は、人間違えをしているのではないだろうか??

そう、私がもし、どうしても今日痴漢しなければ妻と子供が無残な殺され方をする、と凶悪犯に言われて、目の前に私と隣のOLが立っていたらOLを触る。どうせだったら美人の方がいい。おそらく満員電車で手元が見えず、間違えて痩せた私を触っているのであろう。これは、大変なことである。折角、法を犯すと言う後戻りできない道を選んでまで痴漢しているのに、大興奮して触っているのはしがない大学生男子のケツなのだ。一刻も早く教えなければこの人は報われない!(このとき、OLの気持ちは一旦考えないものとする)。私は、男性のことを思ってそのことを伝えようとした。チラッと振り向き、目で合図を送る。

 

(聞こえますか。今、あなたの心に直接語りかけています。そう、私です。あなたが触っている小ぶりなお尻の持ち主は、私です。)

 

バッチリ目があった。おじさんも心なしか驚いた顔をしている。やれやれ、これで私は痴漢されることはないしおじさんもしっかり美人の臀部を触れ、OLのお姉さんも、自分という美人がいるのに男子学生の尻を触っているおじさんにヤキモキしないで済む(偏見である)。

そう、思った矢先だった。私はより一層強く尻を揉まれたのだ。激しく、深くまで追い求めるハイエナのように…。そしてその一瞬で私は全てを理解した。

 

あ…。そっちの、人かぁ…。

 

この人の標的は、私で間違ってなかった。

私の送った心の声はきっと

 

(いいぜ、どんどんこいよベイビー!!熱い車内ライブにしようぜ!!!!!)

 

と受け取られたことだろう。多少の誤解があったとは言え、同意してしまったものは仕方がない。うん、仕方ない。

 

そう思い、私は新宿までの残り20分間をおじさんに尻を差し出すことにしたのであった。