お日様の証

小汚い店構えで武骨な店主が営む居酒屋や小料理屋が好きだ。白いご飯が美味しく、揚げ物がさっぱりしていて、味が若干濃い目だとなお良い。先日、私は新宿の外れでそんな店を見つけてふらりと暖簾を上げた。瓶ビールがキリンクラシックラガーであったため若干の高揚感を覚え、瓶と冷奴、アジフライ、トマトを頼んで待つ。店には数人の常連と私だけ。アジフライはカラッと揚がり練り辛子がこれでもかと添えてあり、冷奴には大量の生姜がかかっていた。実に好みだ。トマトまで切り、注文を一通り作り終えた店主は椅子に座ってぼうっとしていた。瓶を空にした私はメニューを見つめる。こういうところは壁に書いてある品書きまで目を通したほうがいい。ポテトサラダに、ほうれん草のお浸し、タコブツ、揚げ豆腐。うん。どれも良い。ハムカツ、焼き魚も捨てがたい…。申し訳程度に今日のおすすめ、と書いてある紙は今日どころか半年は剥がしていなさそうだった。この雰囲気が私を落ち着かせる。吟味に吟味を重ね、熱燗と板わさ、あん肝と寒鰤を頼む。そして、板わさがカウンターから差し出された時だった。

がらっと重そうな音を立てて引き戸が開き、寒そうに暖簾からひょいと顔を出したのは、私と幾ばくも歳の変わらなさそうな青年であった。

 

「やってる?」

 

と、一言。

いや、初めに断っておくと先ほどこの男を指摘するのために青年という言葉を使ったが正しくない。青年というと、我々日本人は何となく好青年をイメージするだろう。黒髪で短髪、襟のついた服を身に纏い、ロングコートを羽織る。ただ、それは違う。私が言っている方の青年は、髪は金に近い茶髪の長髪、白いピチッとしたインナーに、ごわごわの、何とも表現し難い、きっとそれなりの値段がするのであろう黒いジャンパー(という表現が正しいかはわからない)を身に纏い、クラッチバックを小脇に抱えてかかとに空気が入ってるスニーカーを履いている方の青年である。夏にはきっと仕事先の人とBBQに行き肩幅よりちょっと足を広げて乾杯をし、彼女と海へ行ってどこぞのプロデューサーのように薄いセーターを首にかけ、胸元にはかっこいいサングラスが刺さっていることだろう。の、方の青年である。

それが、武骨な、指には包丁の傷を拵えた、きっと若い頃は息子に対して不器用に接して分かり合えるまで時間がかかっただろう店主に言うのだ。

 

「やってる?」

 

私は思った。

 

(カッケェ…)

 

いや、今までの流れで読者諸君は私がきっと無礼な口を店主に聞いた青年を批判するのだろうと思ったことだろう。申し訳ない。ただ、この青年はなんの嫌味ったらしさも、客と店員のヒエラルキーも、失礼さの欠片も感じさせずにいうのだ。

 

「やってる?」

 

と。いや、何を隠そう私は随分と前から悩んでいた。

 

いつから店員にフランクなタメ口を使うべきだろうか…。

 

これは誰に迷惑をかけるわけでもないが私の中では少し前から抱えている問題である。プライベートが見えないとよく他人に言われ、職場ではなんだか常に偉そうとやっかまれる私であるが、1人で世間の大海原を泳いでいるときは、恐ろしく腰の低い言葉遣いになるのだ。今は27歳だが、そのうち大体の店員は年下になる。歳をとってから急に口調を変えては変な感じにはならないか!?高校生の頃にバイトで接客業をしているときに一番嫌いだった横柄な態度を取る団塊世代のようになってしまうのではないだろうか!私がタメ口を店員に聞くのは歌舞伎町職安通り沿いにあるお世話になっているお蕎麦屋の老年ご夫婦か、新宿西口の馴染みのバーテンダーくらいである。中学生の頃、母親の呼称をお母さん、から、母さんに変えるのに3年かかった男としては、急に店員にタメ口を聴く気にはなれない。それなのにどうしてあの青年はタメ口をサラッと、失礼なく聞けるのか。あれか?やっぱりあれか?学生時代に仲間とツーリングして、なんだか素行が悪いのに先生に気に入られ、働き出しては同期の中心、喫煙所で先輩に嫌味なく取り入っては、Twitterで仲間に祝われた誕生日の写真をアップロードしなくてはいけないのか!?

 

"サプライズの誕生日会に死ぬほどびびった!プレゼントもオレが欲しがってたVUITTONの財布だしマジ最高!みんなありがとな!巡り合えたこの友情にマジ感謝!"

 

お前はどうせ毎年誕生日祝われてるだろうが!!サプライズに気づかないわけあるか!!バーーーーカ!!!!

と、失礼。取り乱してしまったが、こういうバレバレサプライズに大人な回答ができるかどうかに、ひまわりのような人生が送れるかが懸かっているのだろう。

そんな卑屈な妄想をしながら私は店主に言う。

 

「あ、すみません。タイミング良い時でいいんでお会計お願いします。ああ、ありがとうございます」

将棋棋士桐山清澄九段が今年度の順位戦C級2組で8敗目を喫し、フリークラス転落が決まり、年齢規定により現在参加している棋戦に全て敗退した時点で引退となる運びとなった。厳密には竜王戦5組に残留すれば来季も現役棋士を続けることができるが、現実的に厳しい。

 

桐山清澄九段は、現役の将棋棋士で最古にして最年長の棋士である。御年72歳。ひふみんこと加藤一二三先生ばかりがメディアには注目されがちだが、私は桐山清澄先生が好きだ。コアなことを書けば書くほど一般人受けしないが、ここは私のブログであるため、勝手に書かせてもらう。

 

将棋棋士は年に4人しかなれない。したがって10年で40人の棋士が誕生する。その棋士には棋士番号というものがつけられ、2020年現在一番若い(最後に棋士になったという意)棋士番号は320である。そして、桐山先生の棋士番号は93。320-93は227であるから、桐山先生が棋士となってから実に227人の棋士が誕生したことになる。つまり単純計算で56年もの年月を現役将棋棋士として生きている。因みにテレビにたまに登場する、株で有名な桐谷広人先生は年が近く70歳ほどだが、彼の棋士番号は120で、2007年に現役棋士を引退している。桐山先生がいかに、若くして棋士となり、かつ長く活躍しているかが見て取れる。

 

彼の性格や人生、生き様がとても好きだ。将棋棋士として高い技術と実力、勝負強さを持ちながら、いぶし銀と呼ばれるその控えめな性格と落ち着いた棋風からあまり注目はされてこなかった。やはりメディア受けするのは大山康晴米長邦雄中原誠といったド派手なスーパースター達だろう。しかしタイトル4期を誇り、一般棋戦優勝は7回を数えるその実力は折り紙付きで、常にスーパースターの影に隠れながらも(先生には失礼だが)常に活躍していた。その安定した棋力は順位戦A級連続12年所属という記録からも証明される。大半の棋士はタイトル奪取はおろか、タイトル戦挑戦もせずに引退していくことを考えれば、棋士としては超一流であった。

そんな先生の将棋も好きだが、私が最も尊敬するのは、その芯の強さとプライドの高さである。先生のプライドは、一流棋士としてのプライドはもちろんだが、1人の勝負師、将棋指し、男としてのプライドである。トップクラスの実力を持つ棋士達の殆どは、いずれは加齢と、若い棋士からの突き上げをくらい徐々に勝てなくなっていく。そしてその大半は、自らの意思で引退を決断することが多い。周りの同世代の棋士に自分達の世代の将棋を託して。それも、ひとつのプライドの形であると思う。誰しもが、上を目指して戦うより、自分の衰えと闘う方が辛い。そんな中、桐山先生は、名人になることを夢見つつタイトル奪取も幾度もしたが、ついに名人にはなれずに全盛期を終えてしまう(因みに、名人になるという夢は弟子の豊島将之が達成している。)。中原誠米長邦雄など、名だたる同世代達が引退して行く中、同期達の将棋を背負うことになったのはいぶし銀と呼ばれた男であった。

世代の最後は1人で戦うことになる。重くのしかかる重圧と、滅多に勝てなくなる日々のなか棋士を続けることは並大抵の精神力では出来ない。インタビューをされて今後の目標を聞かれてたときに「私の将棋を歴史に刻み、名人になることです。」と真っ直ぐに答えていた。現実的に無理だとしても、限界が近くなったとしても、世代を代表して、1人の将棋棋士として、衰えに抗い、駒を握り続け、頂を目指す。そこには確かに桐山先生のプライドがあるのだと思う。穏やかな性格に日々の努力を隠し、飄々と将棋を指し、70を超えてもスーツをきちんと着こなし、正座を崩さず、勝負師の顔をする。1人の男としての美学に、私はとても心を打たれ、尊敬する。

 

私も、彼のような一本芯の通った男になりたいと思いながら、残りの彼の人生をかけた魂の将棋を堪能したい。

試験監督の妙

仕事の中で、試験監督が群を抜いて嫌いだ。昨今教育業界の残業の多さは話題に上がって久しいが、試験監督には残業がない。必ずその時間には終わる。特に急ぎの仕事がなければ丸つけだって採点日に回したっていい。しかし私は試験監督が嫌いである。

遡ると、学生の頃に試験監督のバイトをしていた頃は嫌いじゃなかった。時給が発生していたからだと思う。その時間だけのアルバイトであれば、私は何もしない暇なバイトが好きだった。コンビニの夜勤や、待機のバイト、交通調査員など、よくやったものだ。しかし、専任教員の試験監督は違う。いくらやろうと月の給料は増えない。その時間に他のことをすることも許されない。なんなら、厳密には椅子に座ることも許されてはいない。これがこんなに苦痛なことだとは学生時代には思わなかった。こっそり本を読むこともあるが、そうはいかない日もある。そんなときは以下の妄想で時間を潰すことにしている。

 

1.直近の自分の将棋を正確に脳内で並べる。

 

記憶力は、脳を使い続けなければ衰えるそうなので、こうした機会に記憶力のテストをする。これは何にも掘り下げても面白くないのだが、私は基本毎日オンラインで将棋を指すので、直近の将棋の手を全て思い出す、それが出来たらその前の対局の手を全て思い出す、と言うのを繰り返すのだ。特にボケ防止になっているとは思えないが嵌ると楽しい。熱中し過ぎて試験時間をうっかり超えてしまうことが多々あるのが玉に瑕。「先生、そろそろ回収の時間では?」と生徒に言われて現実に引き戻される。

 

2.6億円当たった時のことを事細かにシュミレーションする。

 

私は毎週totoBIGを購入しているのでいつか6億円が当たる。そうした場合の具体的な金銭のシミュレーションをする。まずは奨学金を返し、都内のいいマンションに引っ越し、とざっくりしたところから初め、間取りや欲しい家具を考え(防音室にグランドピアノを置きたい)、買う車を決める(考えた末大体いつもAudi…)。最終的には資金の運用くらいまで考えるのだが、この辺りでいつも生徒に「先生、試験時間過ぎてませんか?」と言われて我に帰るのが常。

 

3.可愛い女生徒にもし告白された時のことをシミュレーションする。

 

据え膳食わぬは男の恥というが、食うか食わないかは別として、いつ据え膳にエンカウントしても良いように備えることは男のエチケットである。従って、可能性は限りなく、例え塵よりも少なかったとしても、むしろそれくらいだったら6億当たる可能性のほうが高かったとしても、美人の生徒から告白された時のイメージトレーニングは怠るべきではないのだ。学園祭の放課後や卒業式など、シチュエーションは様々だが、どのパターンにおいても完璧に対応するのが大人だというものである。どんな妄想をしているかは流石に恥ずかしいため描かないが、いつも妄想がエスカレートしここに書くもの憚られるような事態になる。しかしたいてい「先生、終わりの時間です。」と生徒に言われて自分はしがないアラサー男性教員だったと思い出し、現実に打ちひしがれながら答案を回収して終わる。

盛れる

高校の教員をしている、当然職業柄高校生と接することが多い。彼らを見ていると、自分の高校時代を思い出す。私も彼女らのように、若々しく活動的で、活気に溢れていただろうか。

若者言葉と言うものがあるが、その流行り廃れはインターネットの普及とSNSの発達に相まり加速度的に早まっていると思う。若者言葉は①若者が大人になったら使わず、後世の若者が使うもの。(学生言葉)②若者が大人になったら使わなくなり、後世の若者も使わないもの。(一時の流行り言葉)③若者が大人になっても使い続け、後世の若者は使わないもの。(世代言葉)④若者が大人になっても使い続け、後世も世代問わずずっと使うもの。(文化に根付いた言葉)の4つに分類されるが、最近は特に②が多いのではないだろうか。それ程までに流行り言葉の流れが早いように感じる。

メディアが特集するJK語を見ていると意味を知らない言葉がちらほらとあるあたり、自分の加齢と疎さを痛感する。もっとも、その中の言葉は女子高生が流行の発端ではなく、ネット掲示板が生みの親である場合も多いのだが…

 

素人が手軽に写真を加工できるような時代になり、盛る、という言葉と界隈の技術が発展した。この産業の火付け役は間違いなくプリクラ機の技術向上とスマートフォンの普及であろう。より可愛く、目を大きく、肌を綺麗に白く、もはや別人のように写真を撮ることができるプリクラと、擬似的に同じような効果が期待でき、多少の知識があればそれを加工することができるスマホアプリ。援助交際パパ活と言い換え、写真加工、もとい実物詐欺を、盛る、と言い張る。なんだかマイナスイメージのある言葉を言い換えているだけにも感じるが、流行ってしまったものは仕方がない。女子高生に頭の固い老人だ、と思われるのはまだ嫌なのでたまに流行語を勉強するのだが、そうなってしまってはもう流行りの視点から言えば本末転倒であろう。

 

他学年の教員が、行事中の生徒の写真をラミネートして廊下に貼ったところ「この写真は私は盛れていない。同じ構図のこの写真に差し替えるか、加工させろ。」と文句を言われていた。女性は外に出る時、特にビジネスシーンでは化粧をして当たり前、というかすることがマナー。という風潮になって久しいが、いずれは、女性は他人に見せる写真は加工して当たり前、特に履歴書などの公的な写真は加工をすることがマナー。みたいになるのだろうか。時代の流れについていける気が、今から全くしない。

 

そしてこの、盛る、に私はおじさんとして少し面食らうのだ。女子高生は言う。

 

「先生このプリクラ、あたしめっちゃ盛れてない?」

 

正直に言えばこれはマジでやめろ。反応に困る。例えば

「おー、めっちゃ盛れてる可愛いじゃん!」

と言えば、それはすなわち

「お前はこの写真に比べれば普段はさほど可愛くない」

と同義ではないか。また、

「いやいや、あんまり変わらんかなあ」

といえば、それはそれで妙竹林な空気になる。では、一体どのような反応が正解か。女生徒に尋ねてみたところ

「お、盛れてるね!」

と、一言爽やかに言えばいいそうなのだが、これはおじさん側のキャラによってはさらりと言うのは難しい。いったい、どこかに分詞構文のように便利に使える汎用性のある回答は落ちていないものか。おじさんは思い馳せるばかりである。

2020

2020年がやってきてしまった。私がこのブログに前回記事を投稿したのは2018年の9月だったので、実に1年以上も放置していたことになる。だからと言って別に待たせた人もいないのでそれはいい。開設したブログの投稿頻度を決めるのは開設者である私のはずなのでこれからも特に頻度は決めずに書くことにする。昔を思い出して突然文を書くたくなるのはたまにある、それは、同年代の青春時代にブログを書いていたブロガーたちにしか伝わらないだろう。

 

年も2020年にかわろうかという年の瀬に、久々にテレビをつけたらガキの使いやあらへんでの笑ってはいけないが映っていた。最近ネットで見たところによるとなんでも最近のこの企画は面白くないらしい。どうせ懐古厨の言っていることだと鵜呑みにはしていなかったが、試しに酒を片手に見てみることにした。

すると、これが面白い。別につまらなくないじゃないか。私の第一感想は普通に面白い(普通に、を肯定文に使っていいニュアンスを伝えるのは平成初期生まれからだそうだ)。ところが、ゲラゲラと笑いながら見ていると、違和感に気がついた。確かに、昔ほどは面白くないかもな、と。しかし笑えることには笑えるので最後まで今度は違和感を片手に見続けた。そして、なんとなく私はその違和感の正体が分かった気がする。誰に向けてのものでもないがここにその正体を認めておくことにする。

第一に、罰ゲームがそんなに痛くなさそうなのだ。昔やっていたお尻に吹き矢くらいはやって欲しい。ダイソーで売っていそうなヘナチョコに見える柔らか素材の棒でペシッ!とやるだけなのである。それではみているこっちがあまりに緊張感がないではないか。いや、こちらは笑ってもペナルティはないのだが、人の不幸は蜜の味とでも言うのか、まずあれがもっと痛そうでないと笑えない。出ているメンバーも歳が歳だし、あまりに痛そうにやると苦情が来るのかもしれない。年末なんだからもっとやってくれたっていいのに…。重ねて言うが、私は吹矢押しである。

そして、第二に、というか2つしかないのだが、大物芸能人の扱いがダメだ。もっと、こう、笑いに貪欲にきて欲しいのだが、SMAPなどの大物をどーんとだして、「はい、今ここ笑うとこですよ」みたいな空気が拭えない。当の5人も、「ぷぷ、あはは、そんなん笑うに決まってるやんかー」などと無理やり笑って若干罰ゲームを受けに行っている感がひしひしと伝わってくる。こんな企画、出演ゲストに気を使うようになったら終わりだ。使うならもっとぞんざいに扱って欲しいに、大物側ももっと恥を捨てて出演していただきたい。

 

そんな風に思い馳せながら、世間の良しとするものにケチをつけたり、最新の文化や若者に受けているものを批判したり理解を示さないでいると、老害、と呼ばれ忌み嫌われるが、とうとう私もそのくくりに片足を突っ込んでしまったのではないか、と思ってしまった。

たかだか、テレビ番組1つに対して長々と考察するのもつまらないし、そろそろやめることにする。

 

成人男性の保険

私が初めてブログに出会ったのは中学生の時だった。自分専用のものが下着と歯ブラシくらいしかなかった私にとって、そのインターネット上の空間はまるで自分の部屋のように感じたことを今でも覚えている。平成前半生まれの私はブログの最盛期に青年期を過ごしたこともあり、日記やつぶやきを公開するSNSの先駆けにのめり込んだ。今でこそブログを運営するのはアフィリエイトか芸能人くらいだが、当時は素人がたくさんいた。群雄割拠のブログ時代、色々なジャンルがあるこの業界で、感服される程の文章力も、鋭い考察力も持ち合わせのない私の記事は大抵日記である。日々のことや、周りの愚痴を徒然と書く。大受けすることも、たくさんの人に見られることもなく、数名の常連を相手に記事を書く。私はそんな自分の空間が好きだった。

また、私はブログをたくさん移転した。あの齢は黒歴史が溜まるのである。自分の記事(や恥ずかしいポエム)を読んで、いてもたってもいられなくなると、ブログを移転する。今の高校生たちがtwitterのアカウントを頻繁に変えるのは同じ意味なのだろうかとたまに思いを馳せる。

わからない人にはわからない感覚だろうが、ネットで恋愛もした。顔も知らない文通相手に恋をするのと同じかも知れない。現実でも会うようになった親友もできたし、彼女も出来た。しかし、様々なものを与えてくれたブログだったが、私は大学入学くらいを境にブログを更新しなくなった。理由は、あえていうなら忙しくなったから。でも、高校生の頃だって忙しかったし、大学に入ってからブログを書く時間さえなくなったかといえば、そんなこともない。更新しようと思えば出来ただろうし、厚かましい言い方になるが、私の記事の更新を待っていた人も少なからずいただろう。もっと楽しい趣味を見つけたのかも知れない、大人になるにつれてゲームをしなくなるのと一緒かも知れない。とにかく、私はブログを更新しなくなった。大学入学は19歳、今私は26歳付近なので、7年近くブログから遠ざかっていた計算になる。

 

今、こうしてやもあって、ブログを開設して記事を書いているが、すぐに移転する羽目にならないことを私はひたすら祈るばかりである。