「R」それぞれの常識

 人にはそれぞれ自分の常識というものがある。その入り口は環境や、当時の思考に左右されるとして、一旦そう決めてしまったものは人間なかなか変わらないし、変えられない。今まで目を向けてこなかったものに興味を向けるのは至難の業で、ひとたび大人になってしまえば変化を嫌って自分の中の常識を変えることは滅多にない。その品目が多くなれば多くなるほど、「あの人は拘りが強い」なんて言われてしまうのだけれども、そんなものどんな人間にだってあるのだ。そして、それと同時に、今まで関わってこなかったもの、そしてこのまま人生におけるイベントが発生しなければこれからも関わらないもの、というものが存在する。キャバクラには行ったことがない、とか、牛丼屋でご飯を食べたことがない、とか、そんな些細なものでいいのだけれども、確かに、僕らには避けてきたものが人生にある。

 僕は、この人生においてただの一度も、アダルトグッズを使ったことがない(避妊具を除く)

そりゃあ、それなりのホテルで、ベッドわきの扉を開けたらある金庫みたいな箱に入っている謎の、ビールやらなにやら売ってる自販機でピンクのぶるぶる震える卵形のやつをふざけて買ったことはある。それは、認める。ただし、それを個人で、自分或いはパートナーと楽しむために購入したことはないし、期間として愛用したこともない。もちろん、その使い方は、全世界男子共通のコーランと呼ばれるAVにて全男たちが予習とイメトレを終えているところにあると思うのだけれど、存外、実際に定期的に使用したことがある、という人は少ないのではないか。ソースやエビデンスがあって、実情を知っているわけではないけれど、少なくとも、私は、そう思っている。そもそも実家暮らしだと家に置くのも恥ずかしいし、共用でなければ同棲したりしていれば、それもそれで管理が難しい。完全に自慰に使う、となると一人暮らしの男女くらいにしかチャンスがないのではないかと思ってしまう。実際、僕の友達もそう思ったのだろう。つい先日、いつ頃だっただろうか、定かではないがある昼下がりに友人から電話がかかってきて、自分で使うためのアダルトグッズを通販で購入したが、今住んでいる実家に送らせるのは事故が怖いため僕の家に送りたい、といわれた。

「別にいいけど・・・。何を買ったの?というか、時間指定とかされてもその時間に帰れるかわからないんだけども・・・」

「頼むよ。大丈夫、置き配で頼むから!というか、もう、頼んじゃった。

 それから、できれば中は見ないでほしい。」

「・・・。」

かくして、いささか強引ではあったが、我が埼玉の自宅にアダルトグッズが届くことになった。どんな段ボールで届くのだろうか、というか、アダルトグッズなど買う予定も、その願望もなかったから、これが最初で最後になるのだろうとか、そんなところを考えながら、いざ行かん、決戦の日を迎えた。いくら、友人が半ば勝手に置き配で注文したとはいえ、他人の荷物である。早々に仕事を切り上げた私は、遠い埼玉までゆりかごのように揺れる電車に揺らされうとうとしながら岐路についた。自宅の前には、確かに、何とも言えない大きさの段ボールが鎮座ましましている。家内に段ボールを向かい入れた僕は、一旦それをベッドに置くと、シャワーを浴びて夕飯にありつくことにした。その日の夕飯はホタテのバター焼きとアサリの炊き込みご飯、それから冷ややっこである。海の幸、貝に凝縮された旨味を堪能しつつ、さて寝るかと寝室を目指す。ベッドに赴けば、目に入るのは段ボール。これが、気になって仕方がない。

勝手に、開けてしまうというのはどうだろうか。どうせ渡すときには中身だけだ。

僕に頼み込んできた友人というのもそれなりに仲が良いということも相まって僕はあまり段ボールに手をかけるまで悩まなかった。段ボールをあけると、中には丁寧に梱包されている黒光りした高級そうな箱が入っていた。シンプルな外装で、おしゃれ。外寸は、いいちこの瓶がひとつ丸々入るくらいの大きさだろうか。こうなるともう居ても立っても居られない。中身を確認するまでは、死ねない体になってしまった私は次々と内装を破っていった。そうして出てきたのは、見たことのない器具であった。形と色は、女性用のシェーバーを一回りか二回り大きくしたくらいで、当然といえば当然ではあるが先っぽに刃はついていない。代わりに、シリコン製の謎の小さな舌みたいなものがついていて、それをまたシリコン製のカバーみたいなものが覆っていた。さらに、よくよく見てみると充電できそうな穴がついている。電源を付けたらこいつはいったいどんな挙動をするのであろうか・・・。しかし、電源ボタンを押してもうんともすんとも言わない。仕方なく取扱説明書を求めた僕であったが、これが、入っていないのだ。最近のゲームなんかは、もう紙の取説は入っておらず、ネットで済まされてしまうことも多いが、時代の波がなんとアダルトグッズにも来ていたのだ。これでは困る。箱をひっくり返してみると、一枚の紙きれが入っていた。ところがこのアイテム、日本製ではないのだろう。日本語でも英語でもない謎の言語で書かれている。かろうじて読めたのは

[man or woman or etc]

と英語で書かれた一文のみであった。やはり、男性用、女性用と謳ってしまってはトランスジェンダー関連の苦情に対応できないのだろうか・・・。ゆっくりと、しかし確実に、時代の波はアダルトグッズ業界にも押し寄せてきているのだ・・・!そうこうしているうちに、電源ボタンを長押しすると電源が入ることに僕は気が付いた。電源をオンにすると、そのグッズはゲーミングPCを彷彿とさせるような光を見せる。なんと、まさか、アダルトグッズはPCゲーム勢にも寄り添う姿勢を見せるというのか!?この業界、伸びしろがすごいのではないだろうか。そして電源ボタン以外に残るボタンはあと二つ。恐る恐る僕は、そのうち一つを押してみた。

突然、振動とともに上下に動きを見せ始めたのはシリコン製の舌であった。

刹那、私は理解する。

「ハハーン。さてはお前、陰部や乳首をペロペロするやつだな!?」

英知の結晶、人間の科学は性とともに成長してきた。人間、性の関心からは逃れられないサガなのだ。疑問が確信に変わった私は、突如として試したい欲が抑えきれなくなってしまった。別に、一度くらいいいだろう・・・。きっとばれないし・・・。

しかしそもそも彼は、これを一体どういった用件で、どのような用途で用いるのだろうか。自慰行為か!?彼女との夜の営みに使うのか!?!?いや、そんなことはどうでもいい。今は目の前のそのグッズに集中しなければ。

一旦、両の乳首に使ってみよう。そう思った私は、緊張する自分の手を騙しながら。上半身を脱いで、シリコンを左胸に押し当た。そして、スイッチを、入れる。

バイブが鳴るとともに快感に襲われるのではと予想した私の甘い考えはコンマ数秒で打ち砕かれる。

というか、快感どころの騒ぎではない。私を襲ったのは乳首がもげてしまうのではないかと見紛う程の激痛だった。

「イテェ・・・!!!!」

悲鳴を上げた私はその拷問器具をすぐさまどけようとしたがどかない。舌の周りにはシリコン製のカバーがついていたのだが、激痛に悶えながら私はその役割の理解をいやというほど体に叩き込まれた。シリコンカバーが胸に密着して、拷問器具が中から空気を抜くことによってピタリと吸い付いて、僕の乳房から離れない。

「マアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ・・・・・・!!!!!!!!」

なぜこんなことにと四方八方の八百万の神々に懺悔しつつ、私はその器具を胸からひっぺはがした。恐る恐る確認したところ、よかった、まだ尊敬する両親から授かった乳首は辛うじてついている。

「ちくしょう・・・。何がいけないんだ・・・!」

一旦こうなると原因究明しないと気が収まらない。僕は激痛の残り尾に悶えながら先ほどのトランスジェンダーに配慮したプリントに目を通した。それはもう、ミッケのごとく睨み倒した。ほとんど理解できなかったため、片っ端からその謎の言語を翻訳に突っ込む。そうして僕は次の一文と出会うこととなった。

 

「ご家庭にある、お手持ちのローションとともにお楽しみください。」

 

くそが!!!

一般家庭に!!

お手持ちの!!!

ローションが!!!

どこにあるか!!!!

バカヤロウ!!!!!!!!!

こちとら深夜番組のADでもAV関係者でもないんだぞ!!!!

舐めやがって。こうなったら意地でも使わないと乳首に申し訳が立たん。

家中のローションの代わりになるようなものは片っ端から試した。順に、ボディソープ、シャンプー、サラダ油、オリーブオイル、ごま油、である。結論から言おう。この中で一番ローションの代わりとなりえる逸材、唯一近しい存在になれたのは、オリーブオイルであった。どうも、ぬめりが良い。妖艶でなまめかしく、ねっとりと絡みつく。あと、匂いもいい。お洒落な気分になる。こいつならきっと実戦でも通用する。そう、思わせるだけの実力は確かにそこにあった。反面ごま油、あれはダメだ。何とも言えない気分にさせられる。オリーブオイルという武器を手にした僕がその後どのような行動に出たか、所憚らずにここで述べるのは野暮というやつなので記述しないことにする。成就した恋ほど聞かされて聞き苦しいこともないだろう。

しかしながら、ひとつ気がかりといえばそう、オリーブオイルだらけになってしまったその器具を友人に渡すのだが、はたして大丈夫だろうか。

そればかりが心配な賢者の僕であった。