兼平を偲んで

その蕎麦屋は新宿歌舞伎町の端っこ、最早JRの駅は新宿より大久保や新大久保の方が近い、というところにあった。職安通に面していて、通りを挟めば近くには韓流アイドルのライブハウスや韓国料理の屋台などがあり、やたら目の下の赤いメイクの女子高生が目につく場所であった。今から7年ほど前だろうか、その付近でアルバイトをしていた私は蕎麦が好きなのでその店で週のうち半分は食事をしていた。

 

その店は、昭和を感じる看板に、古臭いショーケースに食品サンプルが置いてあった。内装も、オレンジがかった赤に黒い斑点模様の付いた柄のいかにもな机や椅子、壁に貼ってある相撲の番付表や、知り合いにもらったであろう小さな舞台のポスターなど、雰囲気がまず私好みである。メニュー表は、何度か値上げしただろうか、値段が上から書き直してある。しかし、古くからやってるだけあって値段は庶民的で、なにより、おそらく昭和の時代から店を構え、激動の平成をも生き抜いてきた面構えは、どことなく古代樹のような風格があった。私は蕎麦が好物であるが、もっぱら食べる方専門で種類や調理には明るくない。従ってその蕎麦が何割だったのか、どんな蕎麦粉を使っていたのか、そんなことはわかりっこなかったが、どの品も幾多の蕎麦屋の暖簾をくぐった私の舌を唸らせる一品だった。よく頼んだのは丼ものやカレーライスと蕎麦のセット、かき揚げ丼、山かけ丼、天丼、小海老天丼、カツ丼、親子丼、生姜焼き丼や牛丼など、他にも様々などんものがあり、そのどれもが美味しく、それがさらに美味しい蕎麦とセットになるというのなら、これ以上嬉しいことはない。私の一押しは小海老天丼とかき揚げ丼である。他にも鴨せいろや天ざる、つけとろろやおろし、力になめこ、カレー南蛮、何をとっても美味しく、この店があれば私のそばライフは一生満ち足りることだろうと思っていた。

その店は綺麗な白髪がトレードマークの店主と、いつでも明るく、ポジティブな奥さんの70代夫婦が2人で営んでいた、通っていくうちに、私のことを覚えてくれて、スマホの設定を頼まれたり、エアコンのフィルターや電球の交換をしてあげたり、そんな、距離になっていった。社会人になって、新宿でアルバイトをしなくなってからも、私はその店に足繁く通い続けた。あの2人は私を子供のように思っていてくれていただろうか。週末に行けば、一人暮らしの私の食事を心配してか、よく余り物をくれた。その店は飲むのも最高だ。まず、瓶ビールがクラシックラガーである点が見逃せない。つまみも、マグロの山掛、サバの味噌煮、天ぷら盛り合わせ、おしんこ、湯豆腐、もつ煮、なんでも美味しかった。一押しは湯豆腐で、昆布だしの効いた豆腐や榎を食べると、普段の地獄のような食生活がなんだか浄化されたような気分になった。また、蕎麦屋といえば外せないのが蕎麦湯。ここは、蕎麦湯がうまかった。そのまま飲んでもいいし、店の名前が冠してある麦焼酎で割って飲むのも旨い。ボトルも安かったため、私のボトルは常に2本ほど入っていた。私が飲み始めると、必ず店主は野菜を勝手に出してきた。体に気を付けろよ、といって。

一生、その店があればいいと思っていたが、同時に、そんなことはあり得ないとも分かっていた。彼らは私より随分と歳をとっていたし、子供も孫もいたが、跡取りはいなさそうであった。しかし、これが、なんの予兆もなく店を畳むとは、思ってもいなかった。

 

コロナもあるし、家族もいる。ここは歌舞伎町だし、店を開ければ人は来る。俺はかかったら死ぬだろうし、そうなったら家族に迷惑かかる。目も当てられない。そろそろ、潮時かなって。

 

普通の平日に普通に仕事してたら、突然電話が来て店主がそういった。新型ウィルスの影響で、生活に支障が出ることがあるのは知っていたが、身近には起こらなかった。知人も罹ることはなかったし、自分も心の中ではかからないと思っているし、今まではなんだか自分の周りで起こっていることを眺めているだけのような感覚であったが、その時は憤りを感じたのを覚えている。

その週末、片付けをしているところ、店を訪ねた。くしゃっとした笑顔で店主は、何にもあげられるものはないや、ごめんな。という。いえ、今までお世話になりました。と僕は言った。それでも、店主は何か思い出したように奥からゴソゴソと何かを取り出して、蕎麦つゆのもとになる、秘伝のかえしを6リットル僕にくれた。適切に扱えば、腐ることはなく、年数を重ねれば重ねるほどいい味になるそうだ。僕と、この店の味を繋ぐ最後の6リットルとなった。

 

君は、パソコン類に詳しいから困ったら今度連絡するよ。と言う。

 

今度、とは?そんな日が訪れるかどうか知らないし、わからない。そんなことは店主も一緒だろう。

 

はい、これっきりというのは寂しいので、きっと連絡ください。と返す。

 

その言葉は本当であり、嘘も孕んでいる。不誠実だろうか。失礼だろうか。二人の言葉に嘘はない。大切なのは、気持ちと、今会えた、という事実である。来年は一緒にお花見に行くかもしれない。もう一生会わないかもしれない。ひょっとしたら、体を思って店を辞めたけど運悪く病気になってしまうかもしれない。先のことは誰にもわからないのだ。一時の別れか、一生の別れか。それは、神様にもわからないだろう。一期一会とはよく言うものだ。どんな人間との間にも、出会いがあれば必ず別れもある。スマートフォンが発達してその境目は日々曖昧になっているけれど、確かにそこに境界線はある。今あるつながりは、大切にするべきだ。

私は店を後にした。会えてよかった、と、また会いたい。という気持ちを胸にしまって。

 

店の名は「兼平」。

 

兼平を偲んで。