告知とリテラシー

下ネタ……これは最強にして諸刃の剣でもあり、全世界共通で面白い笑いのネタである。

初対面の人と打ち解けるにも、仲良い人と笑い合うのも、一番手っ取り早いのはそれなのです。

不快だ、という人も一部ではいるがそう立候補する半分くらいは本当は面白いけどキャラ的にそう言っているだけで、秀逸な下ネタで笑わない人間は1人としていない───少なくとも、私はこう、考えているわけです。ええ。幼い頃の排泄系から始まり、果ては性交渉まで、色々あるけどこれが真理であり有象無象の森羅万象の根底にあるんですね。間違いない。

ではなぜ下ネタが面白いのか考察していきたい。なんの序文も説明もなぜこれを書くに至ったかも皆さんはまだ知らないけれど、とかく今日はこれについて書くのです。

いきなり核心に迫ることは難しいので、まずは「笑う」というところから歩みを進めたい。

 

笑うという行為は人間しかしない。厳密にはオランウータンの一部の種など、人間に近しい動物も笑うようではあるそうですけど、数ある動物の分母を考えれば人間だけと言っていい。人とだけが持つ笑いを研究してきた人が今までたくさんいたが、効果や効能は分かっても詳しいメカニズムはわかっていない部分も多い。笑いは、その動作によって人体には様々なプラスの効果をもたらすが今はそれについて詳しく述べたいわけでもないし、まして私自身それらについて専門知識があるわけでもないので、その分野に明るい人が筆を取る機会に譲りたい。

私が論じたいのは笑い自身の持つ機構についててです。なんか、さっき詳しいメカニズムは分かってないって言ってませんでしたか?って言われそうであるが、今から書くことは私の持論であって確たるソースもエビデンスも実験結果もないためどうか話半分で聞き流して欲しい。

 

まず、笑いの構造をとらえると、それは2種類あると考える。

経験の共有と立場の落差である。

立場の落差というのは(少し調べたところシェーマのずれ、というらしい。)簡単に言うと「こういう人(や物など)はこんなことしないだろう」と思われるところ逆とことや想像もしないことを言ったり、行ったりすることである。例えば、とても厳格な校長先生が桂を被っていたとして、それが風邪で飛べは面白い。それは、「あんな真面目な校長先生がはげているなんて、まして、それを隠すなんてあり得ない」と受け手が思っているからである。従って、自分もはげていてカツラをかぶって日々神経の8割を頭部に集中させているような人物は、「俺だってはげてるくらいだから、ベッカムやドナルドトランプだって桂の可能性はあるし、ましてパンピー校長くらいだったら全然あり得る」と普段から認識しているため、そのような場面に遭遇したところで笑わないし、面白くもない。

そしてもうひとつ、経験の共有は、一言で言えばあるあるネタである。あー、それ、あるよね、と思わせることで、それがさらにあまり一般的に言われる物でない場合、そうであればそうであるほど、面白く感じる物だ。

ここまで書いたところで私は声を大にして言いたい。

その、2つを満たすものは下ネタなのだ。下ネタしかあり得ず、そしてそれは孤高で耽美なるものなのだ。さらに下ネタは自分の恥ずかしいプライベートを話すことによって相手に信頼感を与える(心理学ではこれを自己開示という)効果もあるため効果は倍増である。

さあ、淑女ぶってるそこのあなたも明日から下ネタにまみれよう!!

 

ここで皆さんには私が今日これを書いた理由を伝えたい。ところはばからず言えば一言。下ネタを書きたい。これにつきる。ところが、ところがだ。昔の私だったら誰に許可を求めるまでもなく書いていただろうが私も歳を取った上、このブログは知り合いの10代の女性が少なくとも1人以上読んでいることが判明している(奇跡である)。いくら、チャンネルは自由だから…。と言っても、NHKやつまらない民放を前に嫌なら見るな、とは些か言いにくい。と、いうことで、ルールを設けたい。

私がこの記事を以てして投稿する記事のタイトルの先頭に「R」とついていたらそれはその記事は多かれ少ならかれ下ネタを含む、という決まりにしよう。それは、今朝の便について、かもしれないし或いは好きな体位について語っているかもしれない。大尉ではない。体位だ。

これからは、タイトルにそう記してある記事を読むことは、全て自己責任でお願いしたい。気分を害そうが、ムラムラしようが、こっちの知ったことではない。今日言いたいのはこれだけである。さらば。