3月10日の駄文

今日は卒業式だった。私は3年生の担任なので教員の中では主役だし、3年生は1クラスしかないので、ますますちゃんとやらなければいけない。私は普段本音を言うことはあまりなく、戯けたり、からかったり、自虐したりして気持ちを隠して相手に伝えることはない。それは、自分の幼さが故だと自覚しているが、改善するつもりも毛頭ない。なので、彼ら、彼女らへの思いはここに認めておくだけとする。しかし、ここへ書くと言うことは少しは知ってもらいたいと言う気持ちも少しばかりあるのではないか、と指摘されてしまいそうだが、それについて追求することは目下の議題ではないため別の機会に譲る。

 

近頃の社会情勢のせいで、卒業式は残念ながら縮小で開催する運びとなった。卒業生とその保護者、また学校関係者のみの出席である。私の学校は学年間の繋がりが強く、在校生の中には卒業式に参加できないとこに不満を示す者も多数いたし、在校生がいた方が臨場感も増すので残念なところではあるが、致し方ない。もともと2月は休みだった上、3月も全国休校要請が発表されたおかげで、私は卒業式前の僅かな日数を生徒と過ごす時間を奪われた。そして代わりに、彼らと過ごした月日をじっくりと振り返る、砂時計の砂がゆっくりと落ちるのをじっと見つめる様な時間を得た。

自分の生徒を考える。私の勤める高校は不登校支援をしていて、入学者の殆どが不登校経験者、そしてその中の半分くらいは長期で学校に行っていない。それは、私のクラスの生徒も例外でない。一方で、私の学生時代を思い出してどうだろうか。学校はサボりまくってはいたが、不登校ではなかった。なんとなく高校に行き、大学もなんとなく受かり、それとなく学生時代を終えた。つまり、私には彼らの気持ちがわからない。いじめ等は別として、彼らに学校に行かなくなった経緯を聞いてもなんともいまいちピンとこないし、なんなら、いじめられたこともないのでいじめられた子の気持ちも厳密にはわかっていないだろう。ゆえに、よく聞く学校に行きたくてもいけなかったと言う気持ちは根本は理解してあげられない。可哀想だったね、と嘘偽りなく心底共感したとして、それはアフリカの学校にいけずカカオ農場で働いている子供の話を聞いて可哀想だね、と言うことと同じであるし、極論水槽の中で泳いでいる魚をぼうっと眺めることと差異ない。

そのため私は学校に来られる様になった生徒や、楽しく学校生活を送ることができるようになった生徒を見ると「自分は何もしていない。環境を整えただけだ。成長したのも、一歩勇気を出して踏み出したのも彼らが勝手にやったことだ。子供の成長はすごい」と思っていた。彼らは私と過ごした時間の中で驚くほど成長した。学校にしっかりと登校するようになった子ももちろん、私のクラスの中には卒業するまで安定して登校することが結局出来なかった子もいたが、そんな生徒も、皆一様に自分なりに努力し、人それぞれに成長した。誠に喜ばしいことである。

生徒について考えることは時として自分を振り返り考えることと同義である。彼らは私が専任で教員をし始めた年の最初の新入生だ。従って、自動的に始めて3年間共に過ごした生徒となり、また、今勤める学校は3年前に開校したということも相まって非常に思い出に深い学年となった。3年前の私は非常に頼りなかったと思う。人に使われることが嫌いな私は上司や先輩しかいない職場はきつかったし、右も左もわからず、昭和な空気の残る教育業界は肌に合っていないとさえ感じた。しかしそれも今や3年前の話。私も今や教務の責任者となり職員室では踏ん反り返っている。考えれば、地位の向上はもとより、恐縮ではあるが人としても大きく成長できたのではないかと自負させていただきたい。では、何故肌に合わない教育業界で3年も仕事が続けられたか。考えれば、それは生徒が可愛かったからである。憎まれ口を叩く生徒も、慕ってくれてやまない生徒も、私とは馬が合わなかった生徒も、全く学校に姿を見せない生徒も、中には私のことを男性として好きだと言ってくれた生徒もいたが、その全員が可愛かった。互いの経験を根本から理解し合う必要はなく、肝要なことは、互いを認め同じ目線で話すことである。高校生の見せる素直な表情と成長は、捻くれた性格の私には新鮮で、心地の良いものだった。特に、不登校を経験した生徒は感受性が強い人が多く、こちらの仕草を見て心を感じとる彼らと接していると、自分がいかに無頓着で無神経かを思い知らされ、繊細な彼らと関わったことが私の成長の一因であることは間違いない。

そして、そうであるとしたら、彼らの成長の一因も私なのである。彼らは勝手に成長していない。私の人間性と経験を吸収し、昇華したはずで、互いに成長させあったと言うのが正解であろう。私は確実に彼らの人生に触れ、影響し、跡を残した。私は自分にないものを彼らからもらい、彼らもまた同じように私の一部分を学んだ。いつの日か私のことを忘れたとして、その事実は変わらない。ほぼクラス全員が慕ってくれた学年である。いつの日か一緒に飲みに行きたいものである。彼らと笑い、共に成長した日々はかけがえのない月日となった。今、卒業式を迎えた彼らが同じ気持ちで学校生活を振り返るのであれば、それに勝る喜びはない。

彼らのいない学校生活は実に想像に難しく、正直に言えば門出を祝う気持ちは2割くらいで、残りは、ただただ寂しいと言うのが本当のところである。しかし、私はその性格から、挙式後の最後のHRでは1度も寂しいと口に出して言わなかった。

それは、彼らの感受性に任せて。