大学生の頃の話

その日私は大学に向かうため電車に乗っていた。自宅の最寄駅から大学の最寄り駅までは大体50分ほどである。埼玉に住んでいた私は乗り換え駅の新宿に出るため埼京線に乗っていた。埼京線は大抵の場合、物凄く車内が混み合う。あ、今あなたが想像した埼京線の車内風景の5倍は混んでます。そうです。そのくらいです。私はその日のことを鮮明に覚えている。いつものようにぼーっと、(湘南新宿ラインはなんで湘南新宿線じゃないんだろう…。)とか、(東横線の読み方はなぜとうおうせんじゃないんだろう)とか考えていたかもしれない。しかしその日を今でも鮮明に思い描くことができるのはそんなことが理由ではない。隣に、とんでもない美人が立っていたからである。美人というのは役得である。美人であるというだけで周りからちやほやされるし、面接の第一印象は最高だし、美しいというだけで良い匂いがしそうだし、なんだか性格まで良い人が多い気がする(偏見である)。おそらく出勤途中のOLなのであろう。体のラインがやや強調されるようなスーツ姿に絶妙に胸元が空いているブラウスを着ていた。仕事がバリバリできるタイプじゃないけど、持ち前の愛嬌と性格の良さと気配りで職場で立ち回り、男性陣から絶大な信頼を置かれているものの一部の女性社員からは嫌われていて、でもそんなことはあまり気にしなさそうなタイプの女性であった(偏見である)。多分、大学は明治かお茶の水か法政で、学部は文学部か政経で間違いないであろう女性だ(偏見である)。そんな女性が隣にいるため、私もちょっと格好つけて、これみよがしにロンドンの天気でも調べてはキメ顔を作っていた。そんなときである。体に、違和感があるのだ。いや、それでは伝わらないだろう。正確には、体の、主に臀部に、違和感を覚えた。その違和感は時に優しく、時に激しく、蛇のように絡みつき、孔雀のように情熱的に私に襲い掛かった。

そう、つまるところ、端的に、簡潔に、率直に、ところはばからず言えば、

 

 

 

私は、痴漢されていた。

 

私も今でさえぶくぶくと止まるところを知らない肥満期を迎え、そのうち出荷されてしまうのではないか?と本気で勘ぐるほどの体型になったが、当時は178cmで体重48kg。ばりばりのモデル体系であった。道を歩けば雑誌のモデルにスカウトされる……ということはなかったので顔はイマイチなのだろうが、まあ、後ろ姿だけ見ればそれなりであったはずだ。

因みに、理性が欲望に支配されて心の中の悪魔が

 

「いいぞ、こいつ全然反応しない、もっと触っちまおうぜ!!!」

 

といい、それに対して僅かに残った心の中の天使が対抗して

 

「ああ、もっといけるぜこれは!!久々のご馳走だ!!」

 

と、もう天使までもが猪突猛進な勢いで私の臀部を弄っていたのは、いかにも中間管理職でもやっていそうな中年男性であった。私は、しばらく臀部を鷲掴みにされながら考えた。そしてある結論を導く。

この人は、人間違えをしているのではないだろうか??

そう、私がもし、どうしても今日痴漢しなければ妻と子供が無残な殺され方をする、と凶悪犯に言われて、目の前に私と隣のOLが立っていたらOLを触る。どうせだったら美人の方がいい。おそらく満員電車で手元が見えず、間違えて痩せた私を触っているのであろう。これは、大変なことである。折角、法を犯すと言う後戻りできない道を選んでまで痴漢しているのに、大興奮して触っているのはしがない大学生男子のケツなのだ。一刻も早く教えなければこの人は報われない!(このとき、OLの気持ちは一旦考えないものとする)。私は、男性のことを思ってそのことを伝えようとした。チラッと振り向き、目で合図を送る。

 

(聞こえますか。今、あなたの心に直接語りかけています。そう、私です。あなたが触っている小ぶりなお尻の持ち主は、私です。)

 

バッチリ目があった。おじさんも心なしか驚いた顔をしている。やれやれ、これで私は痴漢されることはないしおじさんもしっかり美人の臀部を触れ、OLのお姉さんも、自分という美人がいるのに男子学生の尻を触っているおじさんにヤキモキしないで済む(偏見である)。

そう、思った矢先だった。私はより一層強く尻を揉まれたのだ。激しく、深くまで追い求めるハイエナのように…。そしてその一瞬で私は全てを理解した。

 

あ…。そっちの、人かぁ…。

 

この人の標的は、私で間違ってなかった。

私の送った心の声はきっと

 

(いいぜ、どんどんこいよベイビー!!熱い車内ライブにしようぜ!!!!!)

 

と受け取られたことだろう。多少の誤解があったとは言え、同意してしまったものは仕方がない。うん、仕方ない。

 

そう思い、私は新宿までの残り20分間をおじさんに尻を差し出すことにしたのであった。