将棋棋士桐山清澄九段が今年度の順位戦C級2組で8敗目を喫し、フリークラス転落が決まり、年齢規定により現在参加している棋戦に全て敗退した時点で引退となる運びとなった。厳密には竜王戦5組に残留すれば来季も現役棋士を続けることができるが、現実的に厳しい。

 

桐山清澄九段は、現役の将棋棋士で最古にして最年長の棋士である。御年72歳。ひふみんこと加藤一二三先生ばかりがメディアには注目されがちだが、私は桐山清澄先生が好きだ。コアなことを書けば書くほど一般人受けしないが、ここは私のブログであるため、勝手に書かせてもらう。

 

将棋棋士は年に4人しかなれない。したがって10年で40人の棋士が誕生する。その棋士には棋士番号というものがつけられ、2020年現在一番若い(最後に棋士になったという意)棋士番号は320である。そして、桐山先生の棋士番号は93。320-93は227であるから、桐山先生が棋士となってから実に227人の棋士が誕生したことになる。つまり単純計算で56年もの年月を現役将棋棋士として生きている。因みにテレビにたまに登場する、株で有名な桐谷広人先生は年が近く70歳ほどだが、彼の棋士番号は120で、2007年に現役棋士を引退している。桐山先生がいかに、若くして棋士となり、かつ長く活躍しているかが見て取れる。

 

彼の性格や人生、生き様がとても好きだ。将棋棋士として高い技術と実力、勝負強さを持ちながら、いぶし銀と呼ばれるその控えめな性格と落ち着いた棋風からあまり注目はされてこなかった。やはりメディア受けするのは大山康晴米長邦雄中原誠といったド派手なスーパースター達だろう。しかしタイトル4期を誇り、一般棋戦優勝は7回を数えるその実力は折り紙付きで、常にスーパースターの影に隠れながらも(先生には失礼だが)常に活躍していた。その安定した棋力は順位戦A級連続12年所属という記録からも証明される。大半の棋士はタイトル奪取はおろか、タイトル戦挑戦もせずに引退していくことを考えれば、棋士としては超一流であった。

そんな先生の将棋も好きだが、私が最も尊敬するのは、その芯の強さとプライドの高さである。先生のプライドは、一流棋士としてのプライドはもちろんだが、1人の勝負師、将棋指し、男としてのプライドである。トップクラスの実力を持つ棋士達の殆どは、いずれは加齢と、若い棋士からの突き上げをくらい徐々に勝てなくなっていく。そしてその大半は、自らの意思で引退を決断することが多い。周りの同世代の棋士に自分達の世代の将棋を託して。それも、ひとつのプライドの形であると思う。誰しもが、上を目指して戦うより、自分の衰えと闘う方が辛い。そんな中、桐山先生は、名人になることを夢見つつタイトル奪取も幾度もしたが、ついに名人にはなれずに全盛期を終えてしまう(因みに、名人になるという夢は弟子の豊島将之が達成している。)。中原誠米長邦雄など、名だたる同世代達が引退して行く中、同期達の将棋を背負うことになったのはいぶし銀と呼ばれた男であった。

世代の最後は1人で戦うことになる。重くのしかかる重圧と、滅多に勝てなくなる日々のなか棋士を続けることは並大抵の精神力では出来ない。インタビューをされて今後の目標を聞かれてたときに「私の将棋を歴史に刻み、名人になることです。」と真っ直ぐに答えていた。現実的に無理だとしても、限界が近くなったとしても、世代を代表して、1人の将棋棋士として、衰えに抗い、駒を握り続け、頂を目指す。そこには確かに桐山先生のプライドがあるのだと思う。穏やかな性格に日々の努力を隠し、飄々と将棋を指し、70を超えてもスーツをきちんと着こなし、正座を崩さず、勝負師の顔をする。1人の男としての美学に、私はとても心を打たれ、尊敬する。

 

私も、彼のような一本芯の通った男になりたいと思いながら、残りの彼の人生をかけた魂の将棋を堪能したい。