3月10日の駄文

今日は卒業式だった。私は3年生の担任なので教員の中では主役だし、3年生は1クラスしかないので、ますますちゃんとやらなければいけない。私は普段本音を言うことはあまりなく、戯けたり、からかったり、自虐したりして気持ちを隠して相手に伝えることはない。それは、自分の幼さが故だと自覚しているが、改善するつもりも毛頭ない。なので、彼ら、彼女らへの思いはここに認めておくだけとする。しかし、ここへ書くと言うことは少しは知ってもらいたいと言う気持ちも少しばかりあるのではないか、と指摘されてしまいそうだが、それについて追求することは目下の議題ではないため別の機会に譲る。

 

近頃の社会情勢のせいで、卒業式は残念ながら縮小で開催する運びとなった。卒業生とその保護者、また学校関係者のみの出席である。私の学校は学年間の繋がりが強く、在校生の中には卒業式に参加できないとこに不満を示す者も多数いたし、在校生がいた方が臨場感も増すので残念なところではあるが、致し方ない。もともと2月は休みだった上、3月も全国休校要請が発表されたおかげで、私は卒業式前の僅かな日数を生徒と過ごす時間を奪われた。そして代わりに、彼らと過ごした月日をじっくりと振り返る、砂時計の砂がゆっくりと落ちるのをじっと見つめる様な時間を得た。

自分の生徒を考える。私の勤める高校は不登校支援をしていて、入学者の殆どが不登校経験者、そしてその中の半分くらいは長期で学校に行っていない。それは、私のクラスの生徒も例外でない。一方で、私の学生時代を思い出してどうだろうか。学校はサボりまくってはいたが、不登校ではなかった。なんとなく高校に行き、大学もなんとなく受かり、それとなく学生時代を終えた。つまり、私には彼らの気持ちがわからない。いじめ等は別として、彼らに学校に行かなくなった経緯を聞いてもなんともいまいちピンとこないし、なんなら、いじめられたこともないのでいじめられた子の気持ちも厳密にはわかっていないだろう。ゆえに、よく聞く学校に行きたくてもいけなかったと言う気持ちは根本は理解してあげられない。可哀想だったね、と嘘偽りなく心底共感したとして、それはアフリカの学校にいけずカカオ農場で働いている子供の話を聞いて可哀想だね、と言うことと同じであるし、極論水槽の中で泳いでいる魚をぼうっと眺めることと差異ない。

そのため私は学校に来られる様になった生徒や、楽しく学校生活を送ることができるようになった生徒を見ると「自分は何もしていない。環境を整えただけだ。成長したのも、一歩勇気を出して踏み出したのも彼らが勝手にやったことだ。子供の成長はすごい」と思っていた。彼らは私と過ごした時間の中で驚くほど成長した。学校にしっかりと登校するようになった子ももちろん、私のクラスの中には卒業するまで安定して登校することが結局出来なかった子もいたが、そんな生徒も、皆一様に自分なりに努力し、人それぞれに成長した。誠に喜ばしいことである。

生徒について考えることは時として自分を振り返り考えることと同義である。彼らは私が専任で教員をし始めた年の最初の新入生だ。従って、自動的に始めて3年間共に過ごした生徒となり、また、今勤める学校は3年前に開校したということも相まって非常に思い出に深い学年となった。3年前の私は非常に頼りなかったと思う。人に使われることが嫌いな私は上司や先輩しかいない職場はきつかったし、右も左もわからず、昭和な空気の残る教育業界は肌に合っていないとさえ感じた。しかしそれも今や3年前の話。私も今や教務の責任者となり職員室では踏ん反り返っている。考えれば、地位の向上はもとより、恐縮ではあるが人としても大きく成長できたのではないかと自負させていただきたい。では、何故肌に合わない教育業界で3年も仕事が続けられたか。考えれば、それは生徒が可愛かったからである。憎まれ口を叩く生徒も、慕ってくれてやまない生徒も、私とは馬が合わなかった生徒も、全く学校に姿を見せない生徒も、中には私のことを男性として好きだと言ってくれた生徒もいたが、その全員が可愛かった。互いの経験を根本から理解し合う必要はなく、肝要なことは、互いを認め同じ目線で話すことである。高校生の見せる素直な表情と成長は、捻くれた性格の私には新鮮で、心地の良いものだった。特に、不登校を経験した生徒は感受性が強い人が多く、こちらの仕草を見て心を感じとる彼らと接していると、自分がいかに無頓着で無神経かを思い知らされ、繊細な彼らと関わったことが私の成長の一因であることは間違いない。

そして、そうであるとしたら、彼らの成長の一因も私なのである。彼らは勝手に成長していない。私の人間性と経験を吸収し、昇華したはずで、互いに成長させあったと言うのが正解であろう。私は確実に彼らの人生に触れ、影響し、跡を残した。私は自分にないものを彼らからもらい、彼らもまた同じように私の一部分を学んだ。いつの日か私のことを忘れたとして、その事実は変わらない。ほぼクラス全員が慕ってくれた学年である。いつの日か一緒に飲みに行きたいものである。彼らと笑い、共に成長した日々はかけがえのない月日となった。今、卒業式を迎えた彼らが同じ気持ちで学校生活を振り返るのであれば、それに勝る喜びはない。

彼らのいない学校生活は実に想像に難しく、正直に言えば門出を祝う気持ちは2割くらいで、残りは、ただただ寂しいと言うのが本当のところである。しかし、私はその性格から、挙式後の最後のHRでは1度も寂しいと口に出して言わなかった。

それは、彼らの感受性に任せて。

レオニダス

世間にはバレンタインデーという日がある。私はチョコが好きでないので特別楽しみな日ではないが、カップルや、意識している異性がいる人にとっては一大イベントであったりするだろう。有名な話だが、日本のバレンタインデーは世界的に見ると異例で、チョコを渡すのは日本くらいだし、女性から男性に渡すのも日本くらいである。バレンタインデーの起源は諸説あるが、バレンタインというのは西暦260年くらいの時にいた実在する人物名で、当時訳あって結婚が許されていなかった若者の為にこっそり結婚式を開いてやったらローマ帝王に見つかって処刑されてしまい、その日が2/14だったのでカップルの聖典にしよう!みたいなのが一般的な説である(しかし歴史的観点で見ると矛盾点も多く100%正しいとは言い難い)。

 

話は変わるが私は最近ベッドを買った。眠り姫という格安ベッド通販サイトで購入した。私はこれまで生まれてこのかたベッドのある生活をしたことがない。実家が狭いこともあり常に布団を敷いて生活してきた。したがって、ベッドと言うものは如何わしいホテルか、もしくは如何わしくないホテルでしか見たことがないし、使ったこともない。初めてだからと私は少し興奮気味に、見た目重視でベッドを選んだ。セミダブル宮付き、コンセントありの収納付きベッドだ。マットレスも布団セットもセミダブル用の、しかもちょっこかっこつけてモノクロのものをわざわざ購入した。お洒落な照明も買ったし、文字盤がなくて正確な時間がいまいちわからないそれっぽい置き時計も買った。これで準備は万端である。格安ベッドは往々にして組み立ては自分で行う。私は夜中までかかってベッドを組み立てながらその構造に一石を投じたくなった。なんだか、自分が思っていたベッドよりも、耐久力がなさそうなのだ。如何わしいホテルも、如何わしくないホテルもベッドは頑丈で、飛び跳ねたりジャンプしたり、男女の営みを行なったとして壊れることは絶対にないしそんなそぶりも見せない。ここでようやく私は、市販の安いベッドは耐荷重が低いのでは?と気付いてしまった。そして、眠り姫のサイトに戻って詳細を念入りに調べた。そこには耐荷重120Kgと書かれていた。私と、マットレスと布団を足せば100キロ弱である。これは、大変なことだ。私だって男。いつ、このベッドでその時が訪れるかわからない。

 

 

「お邪魔します。へえ、結構片付いてるんですね。意外。」

物の少ない閑散とした僕の家を眺めて彼女は呟いた。

「まあ、ね。仕事忙しくて家にいる時間も少ないし。」

心臓の音が彼女に聞こえてしまうのではないかと緊張していたが、平静を装う。

「お茶を煎れるよ。ソファに座ってて」

そう言って振り返ると、既に彼女はソファに座って足を崩していて、悪戯っぽく笑ってこう言った。

「えー。お酒がいいなぁ」

目のやり場に困るからちゃんと座って欲しい。

「さっき散々飲んだじゃないか」

声は震えていなかっただろうか。僕はロックグラスに氷を入れながら思う。

 

彼女と飲み直した時のことは正直あまり覚えていない。幸せな空気に包まれて、終始ぼうっとしていたことは覚えている。

途中、少し頭を冷やして酔いを覚まそうと思ってトイレの帰りに寝室に行きベッドに腰かけた。彼女は、やっぱり僕に気があるだろうか。頭の中を彼女が爆発的に侵食していき、ぐるぐると渦巻いて僕に絡みつく。酒だ。そうだ、これはきっと酒のせいもある。少し落ち着こう。

「あれー、こんなとこにいたんですか?」

不意に彼女の声で僕は現実に戻る。

「あー、うん。ちょっと酔っちゃったなって」

彼女は微笑みながら僕の隣に座った。何も言わずに僕を見つめるその表情からは何を思っているのかわからない。僕の方が年上のはずなのに、彼女の方がずっと落ち着いて見えた。世の中には、いい沈黙と悪い沈黙があるが、これは前者だ。僕らはその沈黙を充分味わってから顔を近づける。自分が思っていたよりも随分極あっさりと唇が触れる。驚くほど柔らかい感触を楽しむまもなく男女はベッドに倒れ込んで絡み合った。ベッドは少し苦しそうにギシギシと音を立てていた。本当に、ギシギシという表現は合っているんだな。と思ったのも束の間、その音はどんどん大きくなり、僕が彼女のブラウスの第三ボタンに手をかけたところでベッドの底が抜けてしまった。僕のベッドの耐荷重は120Kgだったのだ。

 

 

ほら、ね。これはまずいでしょ?こうなったらきっと彼女帰りますよ。怒って。ということで私はいつ訪れるかもわからないその時に備えて耐荷重の勉強をバレンタインデーにすることとなった。久々に物理学を勉強したが、どうやら僕のベッドはしっかりした足を8本ほど付け足せば200Kgちょっと耐えられる様になるらしい。2×4の長い木材を買ってきて、210㎜間隔に切って、インパクトドライバーでくっつけて支えにしよう。耐荷重の計算なんて、今後の人生に役立つかは分からないが、勉強してしまったものは仕方がない。

ということで私はカップルの聖典の日に、いつ来るかも分からない日に備えてホームセンターへと赴くのであった。

 

時蕎麦

大人にならないと分からないものというものがある。それは酒の味だったり、タバコを吸うとどうなるのかなどの子供には許されていないものから、大人も子供も平等にできることだけれど、大人にしか価値のわからないものまで様々である。

子供の頃、家族で食事に出かけたりした際、父親がおしぼりで顔を拭くのがとても嫌いだった。オヤジくさいし、顔を拭いた後のお絞りはなんか汚く感じるし、「アアァ…。オオゥ…。」みたいな変な声を出しててキモかった。父親に、「それやめてよ!」と何度言っても、お前もそのうちやるんだ、俺と同じ歳になっても嫌だったら言ってくれ。と相手にしてくれなかったことを覚えている。さて、お父さん。あの頃お父さんは50歳とちょっとくらいだったと思います。僕は今27歳、今年28になります。お父さんの様に立派じゃないかもしれないけれど、なんとか1人でやっています。何をやってもなんとなくダサくて、18も年下の母の尻に完全に敷かれ、よく襖越しに小休止の体制で中にいる母に「今、話しかけてもいいかな?」とおっかなびっくり話しかけてた父(子供たちは謁見と呼んでいました)。電化製品を触っては壊し、何度も買い替え、最終的に掃除機すら触ることを禁止された父。昔はちょっとバカにしてたけど今になってその偉大さが分かります。僕より10センチ以上も背丈が低く、いつも家族で1人だけ理系だった僕を見て本当に自分の子供が疑っていたその小さな背中は、今とても大きく感じます。僕も、お父さんの様になれるかなあ。

そんな父に今言います。大切なことだけど1回しか言いません。

 

 

おしぼりで顔拭くの、超気持ちいい。

 

疑ってごめん。超気持ちいい。いつからだろうか、こんなに全力でおしぼりで顔を拭く様になったのは。もうね、めっちゃ拭く、即拭く。なんならおしぼり来る前からどんなおしぼりが来るか考えてる。あったかいのか、冷たいのか、袋に入っているのか、いい匂いがするタイプなのか。もう、おしぼりで顔を拭くことを動詞化したほうがいいと思う。

 

「おしぼる」動詞

意味 おしぼりで顔を拭くこと。また、それと同じ類の快楽を得ること。

しかし調べたことろ、出先の店で顔を拭くのはマナー違反であると感じる人が多いそうだ。私も少し控えなければいけないだろうか。

大学生の頃の話

その日私は大学に向かうため電車に乗っていた。自宅の最寄駅から大学の最寄り駅までは大体50分ほどである。埼玉に住んでいた私は乗り換え駅の新宿に出るため埼京線に乗っていた。埼京線は大抵の場合、物凄く車内が混み合う。あ、今あなたが想像した埼京線の車内風景の5倍は混んでます。そうです。そのくらいです。私はその日のことを鮮明に覚えている。いつものようにぼーっと、(湘南新宿ラインはなんで湘南新宿線じゃないんだろう…。)とか、(東横線の読み方はなぜとうおうせんじゃないんだろう)とか考えていたかもしれない。しかしその日を今でも鮮明に思い描くことができるのはそんなことが理由ではない。隣に、とんでもない美人が立っていたからである。美人というのは役得である。美人であるというだけで周りからちやほやされるし、面接の第一印象は最高だし、美しいというだけで良い匂いがしそうだし、なんだか性格まで良い人が多い気がする(偏見である)。おそらく出勤途中のOLなのであろう。体のラインがやや強調されるようなスーツ姿に絶妙に胸元が空いているブラウスを着ていた。仕事がバリバリできるタイプじゃないけど、持ち前の愛嬌と性格の良さと気配りで職場で立ち回り、男性陣から絶大な信頼を置かれているものの一部の女性社員からは嫌われていて、でもそんなことはあまり気にしなさそうなタイプの女性であった(偏見である)。多分、大学は明治かお茶の水か法政で、学部は文学部か政経で間違いないであろう女性だ(偏見である)。そんな女性が隣にいるため、私もちょっと格好つけて、これみよがしにロンドンの天気でも調べてはキメ顔を作っていた。そんなときである。体に、違和感があるのだ。いや、それでは伝わらないだろう。正確には、体の、主に臀部に、違和感を覚えた。その違和感は時に優しく、時に激しく、蛇のように絡みつき、孔雀のように情熱的に私に襲い掛かった。

そう、つまるところ、端的に、簡潔に、率直に、ところはばからず言えば、

 

 

 

私は、痴漢されていた。

 

私も今でさえぶくぶくと止まるところを知らない肥満期を迎え、そのうち出荷されてしまうのではないか?と本気で勘ぐるほどの体型になったが、当時は178cmで体重48kg。ばりばりのモデル体系であった。道を歩けば雑誌のモデルにスカウトされる……ということはなかったので顔はイマイチなのだろうが、まあ、後ろ姿だけ見ればそれなりであったはずだ。

因みに、理性が欲望に支配されて心の中の悪魔が

 

「いいぞ、こいつ全然反応しない、もっと触っちまおうぜ!!!」

 

といい、それに対して僅かに残った心の中の天使が対抗して

 

「ああ、もっといけるぜこれは!!久々のご馳走だ!!」

 

と、もう天使までもが猪突猛進な勢いで私の臀部を弄っていたのは、いかにも中間管理職でもやっていそうな中年男性であった。私は、しばらく臀部を鷲掴みにされながら考えた。そしてある結論を導く。

この人は、人間違えをしているのではないだろうか??

そう、私がもし、どうしても今日痴漢しなければ妻と子供が無残な殺され方をする、と凶悪犯に言われて、目の前に私と隣のOLが立っていたらOLを触る。どうせだったら美人の方がいい。おそらく満員電車で手元が見えず、間違えて痩せた私を触っているのであろう。これは、大変なことである。折角、法を犯すと言う後戻りできない道を選んでまで痴漢しているのに、大興奮して触っているのはしがない大学生男子のケツなのだ。一刻も早く教えなければこの人は報われない!(このとき、OLの気持ちは一旦考えないものとする)。私は、男性のことを思ってそのことを伝えようとした。チラッと振り向き、目で合図を送る。

 

(聞こえますか。今、あなたの心に直接語りかけています。そう、私です。あなたが触っている小ぶりなお尻の持ち主は、私です。)

 

バッチリ目があった。おじさんも心なしか驚いた顔をしている。やれやれ、これで私は痴漢されることはないしおじさんもしっかり美人の臀部を触れ、OLのお姉さんも、自分という美人がいるのに男子学生の尻を触っているおじさんにヤキモキしないで済む(偏見である)。

そう、思った矢先だった。私はより一層強く尻を揉まれたのだ。激しく、深くまで追い求めるハイエナのように…。そしてその一瞬で私は全てを理解した。

 

あ…。そっちの、人かぁ…。

 

この人の標的は、私で間違ってなかった。

私の送った心の声はきっと

 

(いいぜ、どんどんこいよベイビー!!熱い車内ライブにしようぜ!!!!!)

 

と受け取られたことだろう。多少の誤解があったとは言え、同意してしまったものは仕方がない。うん、仕方ない。

 

そう思い、私は新宿までの残り20分間をおじさんに尻を差し出すことにしたのであった。

お日様の証

小汚い店構えで武骨な店主が営む居酒屋や小料理屋が好きだ。白いご飯が美味しく、揚げ物がさっぱりしていて、味が若干濃い目だとなお良い。先日、私は新宿の外れでそんな店を見つけてふらりと暖簾を上げた。瓶ビールがキリンクラシックラガーであったため若干の高揚感を覚え、瓶と冷奴、アジフライ、トマトを頼んで待つ。店には数人の常連と私だけ。アジフライはカラッと揚がり練り辛子がこれでもかと添えてあり、冷奴には大量の生姜がかかっていた。実に好みだ。トマトまで切り、注文を一通り作り終えた店主は椅子に座ってぼうっとしていた。瓶を空にした私はメニューを見つめる。こういうところは壁に書いてある品書きまで目を通したほうがいい。ポテトサラダに、ほうれん草のお浸し、タコブツ、揚げ豆腐。うん。どれも良い。ハムカツ、焼き魚も捨てがたい…。申し訳程度に今日のおすすめ、と書いてある紙は今日どころか半年は剥がしていなさそうだった。この雰囲気が私を落ち着かせる。吟味に吟味を重ね、熱燗と板わさ、あん肝と寒鰤を頼む。そして、板わさがカウンターから差し出された時だった。

がらっと重そうな音を立てて引き戸が開き、寒そうに暖簾からひょいと顔を出したのは、私と幾ばくも歳の変わらなさそうな青年であった。

 

「やってる?」

 

と、一言。

いや、初めに断っておくと先ほどこの男を指摘するのために青年という言葉を使ったが正しくない。青年というと、我々日本人は何となく好青年をイメージするだろう。黒髪で短髪、襟のついた服を身に纏い、ロングコートを羽織る。ただ、それは違う。私が言っている方の青年は、髪は金に近い茶髪の長髪、白いピチッとしたインナーに、ごわごわの、何とも表現し難い、きっとそれなりの値段がするのであろう黒いジャンパー(という表現が正しいかはわからない)を身に纏い、クラッチバックを小脇に抱えてかかとに空気が入ってるスニーカーを履いている方の青年である。夏にはきっと仕事先の人とBBQに行き肩幅よりちょっと足を広げて乾杯をし、彼女と海へ行ってどこぞのプロデューサーのように薄いセーターを首にかけ、胸元にはかっこいいサングラスが刺さっていることだろう。の、方の青年である。

それが、武骨な、指には包丁の傷を拵えた、きっと若い頃は息子に対して不器用に接して分かり合えるまで時間がかかっただろう店主に言うのだ。

 

「やってる?」

 

私は思った。

 

(カッケェ…)

 

いや、今までの流れで読者諸君は私がきっと無礼な口を店主に聞いた青年を批判するのだろうと思ったことだろう。申し訳ない。ただ、この青年はなんの嫌味ったらしさも、客と店員のヒエラルキーも、失礼さの欠片も感じさせずにいうのだ。

 

「やってる?」

 

と。いや、何を隠そう私は随分と前から悩んでいた。

 

いつから店員にフランクなタメ口を使うべきだろうか…。

 

これは誰に迷惑をかけるわけでもないが私の中では少し前から抱えている問題である。プライベートが見えないとよく他人に言われ、職場ではなんだか常に偉そうとやっかまれる私であるが、1人で世間の大海原を泳いでいるときは、恐ろしく腰の低い言葉遣いになるのだ。今は27歳だが、そのうち大体の店員は年下になる。歳をとってから急に口調を変えては変な感じにはならないか!?高校生の頃にバイトで接客業をしているときに一番嫌いだった横柄な態度を取る団塊世代のようになってしまうのではないだろうか!私がタメ口を店員に聞くのは歌舞伎町職安通り沿いにあるお世話になっているお蕎麦屋の老年ご夫婦か、新宿西口の馴染みのバーテンダーくらいである。中学生の頃、母親の呼称をお母さん、から、母さんに変えるのに3年かかった男としては、急に店員にタメ口を聴く気にはなれない。それなのにどうしてあの青年はタメ口をサラッと、失礼なく聞けるのか。あれか?やっぱりあれか?学生時代に仲間とツーリングして、なんだか素行が悪いのに先生に気に入られ、働き出しては同期の中心、喫煙所で先輩に嫌味なく取り入っては、Twitterで仲間に祝われた誕生日の写真をアップロードしなくてはいけないのか!?

 

"サプライズの誕生日会に死ぬほどびびった!プレゼントもオレが欲しがってたVUITTONの財布だしマジ最高!みんなありがとな!巡り合えたこの友情にマジ感謝!"

 

お前はどうせ毎年誕生日祝われてるだろうが!!サプライズに気づかないわけあるか!!バーーーーカ!!!!

と、失礼。取り乱してしまったが、こういうバレバレサプライズに大人な回答ができるかどうかに、ひまわりのような人生が送れるかが懸かっているのだろう。

そんな卑屈な妄想をしながら私は店主に言う。

 

「あ、すみません。タイミング良い時でいいんでお会計お願いします。ああ、ありがとうございます」

将棋棋士桐山清澄九段が今年度の順位戦C級2組で8敗目を喫し、フリークラス転落が決まり、年齢規定により現在参加している棋戦に全て敗退した時点で引退となる運びとなった。厳密には竜王戦5組に残留すれば来季も現役棋士を続けることができるが、現実的に厳しい。

 

桐山清澄九段は、現役の将棋棋士で最古にして最年長の棋士である。御年72歳。ひふみんこと加藤一二三先生ばかりがメディアには注目されがちだが、私は桐山清澄先生が好きだ。コアなことを書けば書くほど一般人受けしないが、ここは私のブログであるため、勝手に書かせてもらう。

 

将棋棋士は年に4人しかなれない。したがって10年で40人の棋士が誕生する。その棋士には棋士番号というものがつけられ、2020年現在一番若い(最後に棋士になったという意)棋士番号は320である。そして、桐山先生の棋士番号は93。320-93は227であるから、桐山先生が棋士となってから実に227人の棋士が誕生したことになる。つまり単純計算で56年もの年月を現役将棋棋士として生きている。因みにテレビにたまに登場する、株で有名な桐谷広人先生は年が近く70歳ほどだが、彼の棋士番号は120で、2007年に現役棋士を引退している。桐山先生がいかに、若くして棋士となり、かつ長く活躍しているかが見て取れる。

 

彼の性格や人生、生き様がとても好きだ。将棋棋士として高い技術と実力、勝負強さを持ちながら、いぶし銀と呼ばれるその控えめな性格と落ち着いた棋風からあまり注目はされてこなかった。やはりメディア受けするのは大山康晴米長邦雄中原誠といったド派手なスーパースター達だろう。しかしタイトル4期を誇り、一般棋戦優勝は7回を数えるその実力は折り紙付きで、常にスーパースターの影に隠れながらも(先生には失礼だが)常に活躍していた。その安定した棋力は順位戦A級連続12年所属という記録からも証明される。大半の棋士はタイトル奪取はおろか、タイトル戦挑戦もせずに引退していくことを考えれば、棋士としては超一流であった。

そんな先生の将棋も好きだが、私が最も尊敬するのは、その芯の強さとプライドの高さである。先生のプライドは、一流棋士としてのプライドはもちろんだが、1人の勝負師、将棋指し、男としてのプライドである。トップクラスの実力を持つ棋士達の殆どは、いずれは加齢と、若い棋士からの突き上げをくらい徐々に勝てなくなっていく。そしてその大半は、自らの意思で引退を決断することが多い。周りの同世代の棋士に自分達の世代の将棋を託して。それも、ひとつのプライドの形であると思う。誰しもが、上を目指して戦うより、自分の衰えと闘う方が辛い。そんな中、桐山先生は、名人になることを夢見つつタイトル奪取も幾度もしたが、ついに名人にはなれずに全盛期を終えてしまう(因みに、名人になるという夢は弟子の豊島将之が達成している。)。中原誠米長邦雄など、名だたる同世代達が引退して行く中、同期達の将棋を背負うことになったのはいぶし銀と呼ばれた男であった。

世代の最後は1人で戦うことになる。重くのしかかる重圧と、滅多に勝てなくなる日々のなか棋士を続けることは並大抵の精神力では出来ない。インタビューをされて今後の目標を聞かれてたときに「私の将棋を歴史に刻み、名人になることです。」と真っ直ぐに答えていた。現実的に無理だとしても、限界が近くなったとしても、世代を代表して、1人の将棋棋士として、衰えに抗い、駒を握り続け、頂を目指す。そこには確かに桐山先生のプライドがあるのだと思う。穏やかな性格に日々の努力を隠し、飄々と将棋を指し、70を超えてもスーツをきちんと着こなし、正座を崩さず、勝負師の顔をする。1人の男としての美学に、私はとても心を打たれ、尊敬する。

 

私も、彼のような一本芯の通った男になりたいと思いながら、残りの彼の人生をかけた魂の将棋を堪能したい。

試験監督の妙

仕事の中で、試験監督が群を抜いて嫌いだ。昨今教育業界の残業の多さは話題に上がって久しいが、試験監督には残業がない。必ずその時間には終わる。特に急ぎの仕事がなければ丸つけだって採点日に回したっていい。しかし私は試験監督が嫌いである。

遡ると、学生の頃に試験監督のバイトをしていた頃は嫌いじゃなかった。時給が発生していたからだと思う。その時間だけのアルバイトであれば、私は何もしない暇なバイトが好きだった。コンビニの夜勤や、待機のバイト、交通調査員など、よくやったものだ。しかし、専任教員の試験監督は違う。いくらやろうと月の給料は増えない。その時間に他のことをすることも許されない。なんなら、厳密には椅子に座ることも許されてはいない。これがこんなに苦痛なことだとは学生時代には思わなかった。こっそり本を読むこともあるが、そうはいかない日もある。そんなときは以下の妄想で時間を潰すことにしている。

 

1.直近の自分の将棋を正確に脳内で並べる。

 

記憶力は、脳を使い続けなければ衰えるそうなので、こうした機会に記憶力のテストをする。これは何にも掘り下げても面白くないのだが、私は基本毎日オンラインで将棋を指すので、直近の将棋の手を全て思い出す、それが出来たらその前の対局の手を全て思い出す、と言うのを繰り返すのだ。特にボケ防止になっているとは思えないが嵌ると楽しい。熱中し過ぎて試験時間をうっかり超えてしまうことが多々あるのが玉に瑕。「先生、そろそろ回収の時間では?」と生徒に言われて現実に引き戻される。

 

2.6億円当たった時のことを事細かにシュミレーションする。

 

私は毎週totoBIGを購入しているのでいつか6億円が当たる。そうした場合の具体的な金銭のシミュレーションをする。まずは奨学金を返し、都内のいいマンションに引っ越し、とざっくりしたところから初め、間取りや欲しい家具を考え(防音室にグランドピアノを置きたい)、買う車を決める(考えた末大体いつもAudi…)。最終的には資金の運用くらいまで考えるのだが、この辺りでいつも生徒に「先生、試験時間過ぎてませんか?」と言われて我に帰るのが常。

 

3.可愛い女生徒にもし告白された時のことをシミュレーションする。

 

据え膳食わぬは男の恥というが、食うか食わないかは別として、いつ据え膳にエンカウントしても良いように備えることは男のエチケットである。従って、可能性は限りなく、例え塵よりも少なかったとしても、むしろそれくらいだったら6億当たる可能性のほうが高かったとしても、美人の生徒から告白された時のイメージトレーニングは怠るべきではないのだ。学園祭の放課後や卒業式など、シチュエーションは様々だが、どのパターンにおいても完璧に対応するのが大人だというものである。どんな妄想をしているかは流石に恥ずかしいため描かないが、いつも妄想がエスカレートしここに書くもの憚られるような事態になる。しかしたいてい「先生、終わりの時間です。」と生徒に言われて自分はしがないアラサー男性教員だったと思い出し、現実に打ちひしがれながら答案を回収して終わる。